2005年9月5日午前9時37分頃、インドネシア・メダン発同国ジャカルタ行きマンダラ航空091便ボーイング737-230(PK-RIM)が、離陸直後にメダン空港の滑走路端から約500mの幹線道路近くの住宅街に墜落した。
この事故で乗員5名、乗客112名、計117名のうち計102名と地上にいた住民ら47名の合計149名が死亡した。犠牲となった乗客の中には北スマトラ州の知事と前知事、地方代表議会議員2名も含まれていた。州知事らは同国大統領との会談のため首都に向かっていた。また死者には日本国籍の3歳の女児1名が含まれていた。
事故機は墜落時に付近の住宅約10件を壊滅させ、車両5〜6台を巻き込んで炎上し、ばらばらになって道路上に止まった。墜落現場周辺は大規模な火災に見舞われ、また周辺の道路が渋滞していたこともあり、救助隊が現場に接近するのを困難にした。火災により約20件の住宅が半焼した。
生存者の証言によると、「事故機は機内前方で爆発音があり、出火後に降下し始めた」という。また他の生存者によると、「離陸直後に振動があり、幹線道路めがけて急降下した」という。他にも「離陸後に激しく振動し、左に急に曲がった後に激突した。火の塊が機内前方から後ろに向かってきた。」「飛行機の外で爆発があった」との証言もある。生存者は機体最後尾付近の乗客に多かった。
地上の目撃者によると、離陸後に尾翼が吹き飛んできりもみ状態になって墜落したとの証言や、機体の一部が送電線に接触したとの証言もある。事故翌日、インドネシア政府はテロの可能性を否定した。
事故当時空港周辺は濃霧で視界が悪かった。
事故当日夜までに、フライト・データ・レコーダー、コックピット・ボイス・レコーダとも回収された。
メダン市では、同月7日に身元不明遺体34体の合同埋葬を実施した。埋葬に先立って各遺体からDNAサンプルが採取された。
インドネシア第3の都市メダンは、北スマトラ州の州都で人口は約190万人。スマトラ島内最大の都市であり、2004年のインド洋大津波の際には救援活動の拠点となった。
マンダラ航空は、インドネシアに本社を置き、インドネシア軍が経営に関与する航空会社で、安価な運賃で知られているが、使用機材の多くが製造後10年以上であるとの指摘がある。同社によると事故機は総飛行時簡約50000時間で6月に大規模な整備を終えたばかりであった。
事故機は1981年に製造された。