2005年8月16日午前3時5分頃、パナマ・パナマ発フランス領マルティニク行きウエスト・カリビアン・エアウェイズ(本社:コロンビア)708便MD-82(HK-4374X)が、巡航中にコロンビア国境付近のベネズエラ北西部のペリハ山脈にある同国Zulia州Machiques近郊の山間部の牧場地帯の湿地に墜落した。
この事故で乗員8名、乗客152名、計160名全員が死亡した。乗客の国籍は全員がフランス国籍で、乗員は全員がコロンビア国籍であった。
事故機は、同国の墜落約1時間前の世界標準時午前6時頃にパナマを離陸後、巡航高度33000ftを飛行し、世界標準時午前6時51分頃コロンビアとベネズエラ国境上空のSIDOSウェイポイント上空通過を報告した。世界標準時午前6時57分頃、事故機は高度31000ftへの降下の許可を管制官に要請し、了承された。世界標準時午前6時59分頃、Machiques近郊上空を飛行中の事故機から高度29000ftへの降下の許可の要請があったが、管制官はどの便からの要請であるかが分からず、便名を尋ね返した。事故機は、これに応答し直ちに24000ftへの降下の許可をするよう求めた。管制官が、事故機に状況を尋ねたところ、エンジンが2基ともフレームアウトを起こした旨の報告があった。管制官は、事故機に対し、パイロットの判断で自由に降下を行ってよい旨許可し、緊急着陸が可能な空港について情報提供を行ったが、事故機からは、高度14000ftを降下中で操縦不能である旨の回答があった。事故機はそのまま毎分約7000ftの降下率で急激に降下し墜落に至った。
事故発生時、Machiques周辺の複数の住民が、爆発音を耳にし、飛行中の事故機から炎が出るのを見た者もいた。
現場は強雨により湿地状になり、膝まで泥につかりながらの捜索活動は難航した。現場から回収されたフライト・データ・レコーダーとコックピット・ボイス・レコーダーはフランスで解析された。
パナマの航空当局は事故翌日までに、事故機が3時間分の燃料を積載していたことから、燃料切れが事故原因とは考えられないこと、また、燃料に不純物が混入していた可能性についても調査しているが、証拠が見つかっていないこと、事故機のエンジンは、数週間前に消音装置を取り付ける回収が行われたばかりであったことなどを明らかにした。
事故機はマルティニクの旅行会社がチャーターしたチャーター便で、乗客はパナマへの1週間の観光旅行に出かけた帰路のマルティニク在住のフランス人であった。約100年前のパナマ運河の建設に当たっては、マルティニクの労働者が重要な貢献を果たしたことから、マルティニクの議員や公務員を中心とするグループが、パナマ運河建設にちなんだ史跡、旧跡を巡る旅行を計画し、当時の労働者の子孫達がこの旅行に参加した。マルティニク島の人口は約435000人で、多くの島民が犠牲者と何らかの関わりを持っており、島全体が深い悲しみに包まれた。
ウエスト・カリビアン・エアウェイズは、コロンビア・メデリンに本拠を置き、1998年に運航を開始した新興航空会社で、低価格をセールスポイントにコロンビア国内やカリブ海沿岸諸国を結んでいる。同社については、技術面や財政面で問題を抱えているとの指摘があり、コロンビアの民間航空当局によると、同社は、運航乗務員・客室乗務員への過重労働や、訓練の不足、飛行記録を記載する日誌が搭載されていないなどの違反により45000ドルの罰金をコロンビア政府から科されていたことを明らかにした。
事故機は1986年に製造された。