事故詳細

(事故No,20050814a)

 2005年8月14日午後0時3分頃、キプロス・ラルナカ発ギリシア・アテネ経由チェコ・プラハ行きヘリオス航空(本社:キプロス)522便ボーイング737-31S(5B-DBY)が、巡航中にアテネの北約40km、同国Grammatikosから約2kmの山中に墜落した。
 この事故で乗員6名、乗客115名、計121名が全員死亡した。乗客の国籍は、4名がアルメニア国籍、12名がギリシア国籍であった他は、全員がキプロス国籍であった。乗員の国籍は、機長のみがドイツ国籍で、他はキプロス国籍あった。
 事故機は、高度約34000ftを巡航し、午前10時30分にギリシャ領空に到達したが、ギリシャの管制当局が呼びかけても応答がなく、高度を下げなかったため、午前11時頃にギリシア空軍のF-16戦闘機2機が緊急発進し、午前11時30分頃、事故機に接近した。ギリシア国防省が明らかにした戦闘機のパイロットが同省に報告した内容によると、事故機の客室には酸素マスクが降り、コックピットでは、副操縦士は座席で前屈みに倒れており、機長の姿は見えず、2名の人物が、事故機を操縦しようと試みていたといい、アテネ国際空港近傍のホールディング・パターンを降下しながら飛行し、数回旋回した後、2000ftまで高度を下げ、その後7000ftまで高度を上げたが、燃料を使い果たした様子で山岳地帯に墜落した。戦闘機は、事故機の墜落を確認し、直ちに墜落地点を報告した。
 目撃者によると、事故機は急降下して地上に激突した。墜落現場は、険しく木々の生い茂った山腹で、火災も発生し捜索活動は難航した。
 事故機はギリシア領空内に入る前、キプロスの管制官に空調装置の不調を報告していた。また、墜落現場では酸素マスクをつけた遺体も複数確認された。このため、与圧系統か外気の供給システムの異常が、酸素量の低下によるパイロットのインキャパシテーション(機能喪失)を招き、墜落したのではないかとの見方もある。
 事故機は、2004年12月20日にポーランド・ワルシャワからキプロス・ラナルカに向けて飛行中に与圧が失われ、着陸後、3名の乗客が病院に運ばれるインシデントを起こしていた。このインシデントでは、右最後尾のドアのシール部分から与圧空気が漏れたことが原因とされた。
 事故発生当初、報道では、「アテネ空港の管制塔に機内の温度が急低下した旨を連絡した後消息を絶った」、「パイロットの一人が体調不良を訴えていた」、「1名の乗客が携帯電話のメールで機内が冷たく体が冷え切っていることを伝えてきた」、「回収された遺体は内部まで凍っていた」、「墜落時には全員が凍死か窒息死していた」などの情報が流された。
 8月15日、ギリシアの警察当局は、メールの情報は意図的に流されたデマであったとして同国内の32歳男性を逮捕した。同時に遺体の凍結や墜落までに全員が死亡との情報についても、現場で回収された副操縦士を含む遺体26体の検視結果から、意識の有無は別として墜落まで生存しており、墜落時の衝撃で死亡していたことが明らかとなったため否定された。なお、この検視の際に、一酸化炭素中毒の可能性も否定された。多くの遺体は墜落後の火災により損傷しており、身元確認にはDNA鑑定も用いられた。
 8月16日ギリシア政府高官は、事故機があと5分間飛行を続けた場合、アテネ市街地への墜落の危険を回避するために撃墜命令を出す態勢にあったことを明らかにした。
 現場から回収されたコックピット・ボイス・レコーダーの初期解析結果によると、男性客室乗務員が、墜落直前の約10分間にわたって酸素マスクを装着のうえ操縦を試みていたことと、幾度にもわたりメイデイを送信したことが判明した。無線機の周波数が合っていなかったため、メイデイは管制当局に届かなかった。また、操縦室の残骸に付着した血液を調査した結果、操縦訓練の経験を持つ25歳の男性客室乗務員の血液が検出され、操縦を試みていたのはこの客室乗務員であったものと見られているが、事故調査委員会は、墜落時にこの客室乗務員がコックピット内にいたとは断定していない。なお、コックピットの残骸の中からは、女性客室乗務員の遺体が1体発見されている。
 ヘリオス航空は1999年にキプロスで設立された同国初の民間航空会社で、2000年に不定期事業を開始、2001年には定期事業を開始した。同社は事故機を含む4機のボーイング737で、キプロスとイギリス・ロンドン、ギリシア・アテネ、ブルガリア・ソフィア、アイルランド・ダブリン、フランス・ストラスブール、ポーランド・ワルシャワ、チェコ・プラハ間等を運航していた。同社は、事故後乗客名簿を6時間経過しても公表出来ず、業を煮やした乗客の家族らが、同社事務所に入ろうとして警察と小競り合いとなるなど、その対応の遅れが非難された。また、事故翌日には、ラナルカ発ブルガリア行きの同社便への搭乗を乗員乗客が拒絶し、同社へのキプロス国民の不信感が表出した。これを受けて同社では、8月19日に事故機と同型のボーイング737型2機の運航を中止し点検を行うことを発表した。合わせて路線再編を行い、事故機が飛行していたプラハ線を廃止した。
 キプロス政府とギリシア政府は、本件の発生を受けて3日間の服喪を決めた。
 事故機は1998年に製造された。


(C)2005 外山智士
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