事故詳細

(事故No,20040824a2)

 2004年8月24日午後10時59分頃、ロシア・モスクワ発同国ソチ行きシベリア航空1047便ツポレフTu-154B-2(RA-85556)が、巡航中にモスクワの南方約1000kmの同国ロストフ州Millerovo近郊で墜落した。
 この事故で乗員8名、乗客38名、計46名全員が死亡した。乗員乗客の国籍は全てロシア国籍と伝えられる。
 事故機は午後9時35分モスクワ・ドモジェドボ空港を離陸し、ロストフナドヌーから約160km地点の上空で消息を絶った。
 事故機からは墜落の約1分前に緊急信号の発信があり、その直後にレーダーから機影が消えた。緊急事態について交信はなかった。事故当時、墜落現場付近は悪天候で、墜落地点の確認に消息を絶ってから約9時間を要した。機体の残骸や遺体は半径約10kmの範囲に散乱した。広範囲に散乱していることから空中で爆発したものと事故直後から推測されていた。遺体等の回収作業は8月26日中に終了した。フライトレコーダーとボイスレコーダーは8月25日に回収された。
 事故発生直後、報道機関は、ほぼ同時に発生した別の航空事故(ボルガ・アビアエクスプレスの事故:後に同時テロと判明)と本件を1件の航空事故と誤解し、別件の事故機をツポレフTu-154と報道し、直後に本件ツポレフTu-154が墜落したことが判明すると、別件の事故機をツポレフTu-134と訂正するなど混乱した。
 ソチは黒海沿岸にあるロシア有数の保養地で、事故当日はロシアのプーチン大統領も休暇を過ごすために当地の別荘に滞在中であった。
 事故機は1982年に製造された。

 2件の事故発生直後に、プーチン大統領は、連邦保安局(FSB)に原因究明を指示し、翌8月25日朝には休暇を切り上げてモスクワに戻り緊急会議を招集して治安担当閣僚らと対応を協議し、あわせて運輸大臣が委員長の国家事故調査委員会を設置した。FSBは、テロ対策を担当する機関で、テロが疑われる場合にのみ調査が指示される。約724km離れた2件の墜落現場には、合計で約2000名が動員され、遺体の捜索収容活動などにあたった。また、ロシア国内全空港及び首都の中枢施設で警備が強化され厳戒態勢が敷かれた。事故翌日、ロシア政府内では、空港内の治安・安全管理業務とその権限をこれまで委ねてきた空港当局からロシア警察の監督官庁である内務省に移管する法律改正案の準備も開始された。この法律改正案が成立すれば、ロシア国内の空港での乗客の手荷物検査などの保安業務は警察が直接担うことになる。
 事故発生当初、FSB、政府当局者とも、テロであることを示す証拠は発見されていないこと、人的要因あるいは機材故障の可能性もあり様々な可能性を考慮しながら捜査していることなどを述べ、慎重な姿勢を示した。しかし事故翌日の、8月25日にはボルガ・アビアエクスプレス機の墜落現場から通常の空中分解では説明のつかない大きな外力が加わった可能性を示す残骸が発見され、8月26日には、前日に墜落現場から回収された両機のボイスレコーダーとフライトレコーダーが墜落前に何らかの強い衝撃を受けて機能を停止していたことが判明するなどした。結局FSBは、8月27日になってシベリア航空機の残骸から爆薬の一種であるヘキソーゲンが検出されたことを公表し、シベリア航空機事故はテロであったことを明らかにした。8月28日には、ボルガ・アビアエクスプレス機の残骸からもヘキソーゲンが検出されたと発表し、同時テロであったことが確定した。8月30日、国家事故調査委員会は、ボイスレコーダーとフライトレコーダーの解析結果から両機は墜落直前まで正常に操縦されており、ハイジャックは発生せずに突然の爆発により墜落したと見られ、シベリア航空機から出された緊急信号についてもパイロットが操作したものではなく、爆発による機体破壊などで回路がショートするなどして発信されたものと見られるとの見解を示した。第二次世界大戦中に開発されたヘキソーゲンは、別名RDX(正式名シクロトリメチレントリニトロアミン)と呼ばれ、プラスチック爆弾の主成分である。ドモジェドボ空港では保安検査は金属探知機で行われており、プラスチック爆弾を探知することは出来なかった。
 ボルガ・アビアエクスプレス機、シベリア航空機とも、カフカス地方特有の姓を名乗るチェチェン共和国在住の女性乗客が1名ずつ搭乗し、共に遺族からの問い合わせがないことから、この2名の乗客がテロの実行犯であると見られている。2名は、出発の1時間から1時間半前にドモジェドボ空港内でそれぞれ航空券を購入し、ほぼ同時刻にチェックインの手続きを行った。ボルガ・アビアエクスプレス機に搭乗したアミナト・ナガエワ(27)は、チェチェン共和国キーロフユルト村の住民であったが、3〜4年前に兄弟の1人がテロ容疑をかけられロシア連邦政府特務機関に連行されたまま消息を絶っており、その報復が犯行動機と見られている。ボルガ・アビアエクスプレス機の後部ラバトリーの残骸から発見された同女の足の部分の遺体からは自爆テロ犯特有の爆発の痕跡が確認された。またシベリア航空機も後部ラバトリーの残骸から小規模な爆発の痕跡が確認されており、同機後部客席(最後列から5列目)に搭乗していたチェチェン人女性サツィタ・ジェビルハノワも同様に自爆テロを図ったと見られる。さらに本件事故の7日後の8月31日、アミナト・ナガエワの妹ローザ・ナガエワがモスクワ地下鉄リガ駅で自爆テロを行い爆死、通行人十数名を負傷させた。アミナト・ナガエワとジェビルハノワはルームメイトとしてチェチェン共和国の首都グロズヌイで暮らしていたが、8月22日頃に行方不明となっていた。以降、ナガエワ姉妹とジェビルハノワは友人のもう1名の女性と共にモスクワに潜伏してテロの準備を行っていたと見られる。もう1名の女性の友人はテロ後行方不明となった。これまでチェチェン人が行った自爆テロは、ほぼ全てがロシア軍に肉親や配偶者を殺害された女性による報復であり、両機の墜落とこれらに関連するテロはこの例に倣うものと見られている。なお、ジェビルハノワは、8月25日午前9時20分モスクワ発ソチ行きシベリア航空機(約350名が搭乗予定)の航空券を購入しており、何らかの理由で急遽24日夜の便にテロの対象を変更したと見られる。
 ロシアでは、ロシア連邦軍と分離独立を主張するイスラム系独立派武装勢力の戦闘が約5年間にわたって続く南部のチェチェン共和国で8月29日に大統領選挙が行われた。チェチェン共和国のアフマト・カディロフ大統領が、2004年5月9日に首都グロズヌイで起きたスタジアム爆破テロで暗殺されたことに伴う選挙であり、独立派武装勢力は連邦政府が推す候補が当選確実な選挙の実施に反発し、選挙の中止を狙って8月21日夜に同共和国の首都グロズヌイに大規模な攻撃を行い、攻撃続行を言明していた。また、事故当日午後8時にはドモジェドボ空港近隣のモスクワ南部カシルスキー大通りのバス停付近で紙袋に仕掛けられた爆発物が爆発し通行人4名が負傷するテロ(治安当局の関心をバス停爆破に向けて本件同時テロを行いやすくするための陽動作戦との見方が後に強まった)があり、空港当局は警備を強化していた。そういった背景から、チェチェン独立派武装勢力の中でも国際テロ組織アルカーイダなど海外のイスラム原理主義過激派とつながりのある強硬派が、大統領選挙実施を阻止するために同時テロを行った可能性が事故発生直後から強く懸念されていた。チェチェン独立派武装勢力指導者のアスラン・マスハドフ氏(チェチェン共和国元大統領)のスポークスマンは8月25日、本件へのあらゆる関与を否定しテロを非難する旨コメントを出した。8月27日になってアルカーイダ系のイスラム原理主義集団とみられるイスランブリ旅団を名乗る組織が犯行声明を中東のイスラム系ウェブサイトに掲載した。犯行声明で同組織はロシアがチェチェンでのイスラム教徒虐殺をやめなければテロは続くと警告した。8月31日、プーチン大統領は、両機の墜落は国際テロ組織アルカーイダとの関連があり、チェチェン独立派武装勢力と国際テロリズムの関係を確認するものだと述べ、チェチェン独立派武装勢力の犯行として追及する構えを見せた。
 ロシア国内では、大統領令により8月26日が国民の服喪の日に指定され、テレビ各局は娯楽番組の放映を自粛したり、ニュース番組でのコマーシャルの放映を停止するなどした。また、劇場の演目からコメディーが外され、街中に半旗が掲げれた。同国内では近時多数の犠牲者を出すテロが多発していたことから国民に衝撃と不安が広がった。


(C)2004 外山智士
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