2003年12月25日午後2時55分、ギニア・コナクリ発シエラレオネ・フリータウン経由ベナン・コトヌー経由レバノン・ベイルート経由アラブ首長国連邦・ドバイ行きUnion des Transports Africains de Guinee141便ボーイング727-223(3X-GDM)が、コトヌー空港を離陸直後に空港沖合のギニア湾に墜落した。
この事故で乗員10名、乗客151名、計161名のうち、計140名が死亡し、計21名が救助された。
乗客の大半は、西アフリカ諸国在住のレバノン人でクリスマス休暇を用いて母国に帰省する途中であった。ベナンにも数千人規模のレバノン人が入植し、レバノン人社会が形成されており、ベナンの通商において大きな役割を果たしている。なお、乗客には国連平和維持活動に参加した15名のバングラディシュ軍の兵士も含まれていた。15名の兵士のうち13名はシエラレオネ、2名はリベリアでの活動を終えバングラディッシュに帰国する途中であった。その他、ギニア人、イラン人、パレスチナ人、シリア人が搭乗していた
事故機は離陸直後、殆ど上昇することが出来ず、ギアアップも行えないまま滑走路端付近の高さ2ないし3mの空港の無線設備が納められた建物の屋根に主脚が接触し、空港の防護壁に衝突して爆発炎上し、空港脇の海岸線付近の海上に墜落、残骸が海岸線から約150m沖合の海上にかけて飛散した。事故当時空港周辺は晴天、気温32度、風も弱く運航に支障が出るような天候ではなかった。事故機には過積載が指摘されており、事故原因との関連が注目されている。
事故直後、墜落現場付近の海上には残骸の間を埋めるように数十名の生存者と死者が波間に浮かんでおり、地元の住民と漁民が捜索と救助に奔走した。事故機の前部は大きく損傷していたのに対し、後部の損傷は比較的緩やかで、生存者は後部の乗客に多かった。乗客の中には自ら海岸までの約100mを泳いで脱出したり、他の乗客を何人か救助した者もいた。
Union des Transports Africains de Guinee(UTA)は、レバノン人が経営しギニアに拠点を置くチャーター便運航を主に手掛ける航空会社であり、かつてフランスにあった航空会社UTAフランス航空(1992年にエールフランスに吸収合併され現エールフランス)とは無関係である。Union des Transports Africains de Guineeは、これまでアフリカ、レバノン、ドバイ間をチャーター便で結んでいたが、事故機を取得してからは週2便のペースで事故機と同じルートを運航していた。
事故機は、レバノンでの航空機としての登録を技術的な必要条件を満たしていないとの理由から、レバノン政府に認められなかった旨報道されている。
事故機は1977年に製造され、アメリカン航空で使用された後、Union des Transports Africains de Guineeでは2003年9月から使用されていた。