2002年12月23日午後7時29分頃、ウクライナ・Kharkiv発トルコ・トラブゾン経由イラン・イスファハン行きAeromist Kharkiv(本社:ウクライナ)2137便アントノフAn-140(UR-14003)が着陸進入中にイスファハン近郊の山岳地帯に墜落した。
この事故で乗員4名、乗客42名、計46名全員が死亡した。
乗員乗客の国籍は乗客のうち6名がロシア国籍である他は全員ウクライナ国籍であった。
事故機は同日午前にウクライナ・Kharkivを出発し、トルコ・トラブゾンには給油のため立ち寄り約1時間滞在した後、イスファハンに向かった。事故当時現場付近は視界不良であり、事故機は着陸予定時刻の数分前に交信を絶った。機体の残骸は墜落地点から約1Kmにわたって散乱した。
乗客は、事故翌日の24日にイスファハンで開催予定のIran-140型機(イランでライセンス生産されたアントノフAn-140)の試験飛行式典に出席するためにイランに向かうウクライナとロシアの航空産業関係者とイランで技術指導を行ってきたウクライナ人エンジニアの家族であった。
イランHESA社は、2000年にウクライナのKharkivエアクラフトプラント社から80機分のライセンスを購入し同型機を生産するプロジェクトに着手しており、Kharkivエアクラフトプラント社の技術支援と部品の供給を受けて機体製造を手掛け、翌日の試験飛行式典を迎えるばかりとなっていた。犠牲者にはKharkivエアクラフトプラント社のトップエンジニア達を含んでいた。
2003年1月23日、イランの民間航空当局は、CVRおよびDFDRの初期解析結果を発表し、パイロットのGPS航法が不適切であったことを明らかにした。
アントノフAn-140(定員52名:事故機と同型)は短距離用双発ターボフロップ機で1999年に初飛行した。コミューター市場向けの航空機であり、貨物型も開発されている。
事故機は2002年に製造された。