2002年5月25日午後3時31分頃、台湾・台北発中国・香港行き中華航空611便ボーイング747-209B(B-18255)が、台湾島の西方約50Kmにある澎湖諸島の北東約18Km付近の台湾海峡上空高度35000ftを巡航中に空中分解し、海上に墜落した。
この事故で乗員19名、乗客206名、計225名全員が死亡した。
乗員19名は全員が台湾籍で、乗客206名のうち189名が台湾籍、中国国籍(香港とマカオの市民)14名、シンガポール国籍2名、欧州の国籍を持つ者1名であった。台湾籍の乗客のうち114名は中国本土への団体旅行客であった。
事故の翌日、台湾行政院飛行安全委員会は、管制交信と管制レーダーの解析結果について、事故機は午後3時8分に台北国際空港(中正国際空港)を離陸し、午後3時16分に台北地区管制センターと交信したのが最後の交信で、異常を感じさせる内容はなかったが、午後3時29分にレーダースクリーンに異常発生が表示され、午後3時30分30秒にレーダーアウトしたこと、レーダーアウト時の高度は30000ft以上であったことを公表した。また、同委員会は、この解析結果から事故機は空中分解し、大きく4つに分解して墜落したとほぼ確定出来たと発表した。
事故原因としては、当初、爆発物によるテロや軍事演習用のミサイルに衝突し爆発したとの説が浮上したが、収容された遺体の多くが骨折はしているものの損傷が少ないことや焼跡のある機体の残骸がないことなどから事故機は爆発ではなく、空中分解したものと推測された。
事故の目撃者はいなかったが、墜落現場付近の海域で釣り人が、バンという大きな音を聞いたと証言している。また、事故直後、墜落現場の北東約100Km、事故機の飛行ルートの東側に位置する台湾本島中部西岸の彰化県秀水郷下崙村では、空から乗客名簿に記載された男性の名刺や同便の搭乗券、中華航空の機内誌、機体の緩衝材など次々と落下するのを住民が目撃し回収した。
事故当日の現場周辺の天候は晴天で概ね良好であったと伝えられる。
事故機は就航から22年8ヶ月が経過、総飛行時間は64000時間を超え、経年化が進んでおり、翌月にはタイの航空会社Orient Thai Airlinesへの売却が決まっていた。事故当日、同便に使用予定の機材が別の路線に転用されたため、急遽、点検中の事故機を臨時で使用することになり、事故機にとっては、この日のフライトが中華航空での最後のフライトとなる予定だった。事故機は、A整備を2002年5月3日、B整備を2002年4月4日、C整備を2001年11月25日に済ませていた。事故機には、1980年に香港を離陸時に機体後部を地上に接触、損傷させた事故歴(以下「しりもち事故」という)がある。
海底に沈んだ残骸の回収作業は難航し、ようやく6月18日にボイスレコーダーを回収し、翌19日にはボイスレコーダを発見した場所から300m離れた海底でフライトレコーダーも回収した。墜落現場周辺海域での捜索活動は、最終的には175遺体と機体全体の75%から80%の残骸を回収して終了した。
2002年12月25日、台湾行政院飛行安全委員会の当局者は現場海域から回収した機体後部の破片に金属疲労による長さ数cmの亀裂を発見したことを表明した。飛行安全委員会は亀裂が事故原因とは断定出来ないとしたが、1980年のしりもち事故の際の修理の不徹底とその後の点検不足により亀裂が発生、成長した可能性を示唆した。これを受けて2003年2月、アメリカ連邦航空局(FAA)は、空中分解の原因は、修理部分の破断の可能性があるとし、同様の修理歴のあるボーイング747型機の点検を行うよう、アメリカ国内の航空各社に指示した。
2003年6月3日、台湾行政院飛行安全委員会は、事故原因は1980年のしりもち事故の修理箇所に関連する空中分解であることを示唆する中間発表を行った。金属疲労による亀裂と腐食は機体後部の継ぎ当てられた部分の残骸から見つかった。この継ぎ当て(アルミニウムパッチ)はしりもち事故の修理の際に後部貨物ドアの近くに当てられたものであった。事故機にはしりもち事故以外の整備で設けられたアルミニウムパッチも含めて合計31箇所の継ぎ当てがあった。アルミニウムパッチの下の金属には塗料が流れ込んだ跡があり、アルミニウムパッチが緩く固定されたため、液体の流入を許し、また充分な強度が得られなかったことが推測され、ひいてはアルミニウムパッチの下での疲労亀裂と腐食の進行につながったものと見られるが、飛行安全委員会は、これらの点について、更なる調査と解析が必要であるとしている。
なお、本件事故調査の初期の段階では、後部ドア付近の別のパッチで、材料としてステンレススチールが使用されていたことから、ボーイング社がアルミニウム合金製の航空機の修理にステンレススチールが用いられることについて、2種類の金属を混用することにより、腐食や構造上の弱点となる虞のあることをかねてから警告をしていた点が注目されていたが、この点は事故原因につながるほど重要ではないことがこの中間発表の席で明らかにされた。
この中間発表を受けて中華航空のスポークスマンは事故機の整備はボーイング社のマニュアルとボーイング社の技術者の監督の下に行われたと述べた。
事故機は1979年に製造された。