2002年5月7日午後9時30分頃、中国・北京発同国大連行き中国北方航空6136便MD-82(B-2138)が、遼寧省大連市の大連空港の東約20Kmの海上に墜落した。
この事故で、乗員9名、乗客103名、計112名全員が死亡した。搭乗者の国籍は、中国104名、日本3名、韓国2名、フランス1名、インド1名、シンガポール1名であった。
事故機は午後8時37分に北京国際空港を離陸し、午後9時40分に大連空港に到着する予定であったが、午後9時24分頃、管制に火災の発生を報告し交信を絶った。なお、墜落時刻については午後9時24分、午後9時32分、午後9時37分など複数の情報がある。
大連港では、機内の照明が消えたまま降下してきた事故機が、2、3回旋回するようにして機首から海面に墜落し、大きな波頭が上がったところが目撃されており、火災のため最終的には機体の制御が困難になったとみられている。
海中からは、機内食サービス用のカートが黒く焼けこげて二つに割れた状態で回収されるなど、回収された残骸や遺体はいずれも火勢の強さを示していた。遺体はいずれも損傷が大きく、身元確認はDNA鑑定を中心に行われた。また、機上の火炎を地上から目撃した目撃者もおり、機内では短時間に非常に激しい火災が発生していたものと見られている。火災は機体後部で発生した。
2002年12月7日、中国政府(国務院)の事故調査委員会は、乗客の37歳男性が機内で放火したことが事故の原因と断定した。この男性乗客は航空傷害保険に一度に7口、保険金にして140万元(当時の為替レートで約2100万円)分加入しており、保険金目当ての自殺と見られている。この男性乗客は大学を卒業後、政府機関の公安、貿易関係部門で働いた後、大連で内装工事会社を経営し、妻は以前、保険会社で仕事をしていた。
ブラックボックスの捜索は難航し、DFDRが海中から発見されたのは5月14日、CVRが発見されたのは5月15日のことであった。
事故機は1991年に製造された。