2002年2月12日午前7時30分頃、イラン・テヘラン発同国ホラマバード(Khorramabad)行きイラン・エア・ツアーズ(本社:イラン)956便ツポレフTu-154M(EP-MBS)が、ホラマバード空港に着陸進入中、ホラマバードの南西約25Kmの同国Sarab-e Do Rah のSefid Kouh山中の9100ft地点に墜落した。
この事故で乗員12名、乗客107名、計119名全員が死亡した。犠牲者には4名のスペイン人ビジネスマンと4名のイラン政府関係者が含まれていた。
事故機は、午前6時30分頃にテヘラン・メヘラバード空港を離陸し、ホラマバード南西部でレーダーから機影が消えた。事故当時、現地では霧で視界が悪いうえ雨と雪も強いなど天候が悪かった。周辺住民は大きな爆発音を聞き、炎を目撃した。機体は全体が破壊され、細かな破片となって山に散乱した。地形の関係で捜索活動は難航し、コックピットボイスレコーダーは事故から5日たった2月17日になって発見された。
イラン・エア・ツアーズは国営イラン航空の系列会社であるが、近年多くのロシア製航空機をロシア人乗務員とともにリースにより入手し運航していた。
イランでは、1979年のイラン革命以前は多数のボーイング社製航空機を購入してきたが、革命後アメリカはイランに対する経済制裁の一環としてそれらの修理用部品の供給を停止した。修理用部品の入手が困難なうえ、近年それらのボーイング社製航空機も経年化してきたため、旧ソ連製旅客機のリース機が増加する傾向にある。この点につきイラン政府は修理用部品におけるアメリカの姿勢は罪のない乗客の命を危険に晒すものだと批判していた。
ホラマバードは、テヘランの南西約350Kmのイラン西部の都市であり、イラクとの国境であるザグロス山脈の東に位置し空港の付近は山岳地帯である。
事故機は1991年に製造された。