事故詳細

(事故No,20011004a)

 2001年10月4日午後1時44分、イスラエル・テルアビブ発ロシア共和国・西シベリア・ノボシビルスク行きシベリア航空(本社:ロシア)1812便ツポレフTu-154M(RA-85693)が、高度36000ftを巡航中に同国ノボロシースクの南方190Kmの黒海沖に墜落した。
 この事故で乗員12名、乗客66名、計78名全員が死亡した。
 事故機の近傍を飛行中のアルメニア航空機のパイロットが、事故機が空中で爆発後、急降下して墜落するのを目撃し、管制官に報告した。事故当日ウクライナ共和国は、過去数年間で最大規模とされる軍事演習を実施しており、事故直後から原因として、事故現場から約240Km離れたクリミア半島東部の軍事施設で地対空ミサイルの発射訓練を行っていたウクライナ軍のミサイル誤射・撃墜説が唱えられた。
 当初、ウクライナ共和国政府は演習に使用したミサイルは、10Km前後の射程距離しかなく、また発射した方角とも航空機が爆発した地点とは一致しないとし、さらにミサイル発射演習が開始されたのは事故の16分後の午後2時であるとし、関与を全面否定していたが、事故翌日には、演習に長距離地対空ミサイルが使用されていたことを暗に認めた。しかし、撃墜については、事故4日後の記者会見で、演習で発射したミサイル23基の全軌道を確認しており撃墜はあり得ないと改めて否定し、事故5日後には、ミサイルの発射角度に旅客機が存在せず、疑惑が持たれている午後1時41分に発射されたミサイルは、2分後に海に落下したと述べた。
 ロシア共和国政府は事故の2日後、ウクライナ軍が午後1時41分に発射したS200ミサイル(射程距離300Km)が命中した疑いがあると述べ、事故の5日後には政府の調査委員会が、ウクライナ軍のミサイルが事故機を撃墜したとの見解を示した。そして、2001年10月12日、ロシア政府調査委員会は事故機は地対空ミサイルに撃墜されたと発表した。発表の中でロシア政府は、ミサイルの出所を敢えて明言しなかったが、この発表を受けてウクライナ共和国側はウクライナ軍のミサイルの可能性があることを公式に認めた。翌13日、ウクライナ国防相は遺族・関係者に対し、事故の原因はなお不明であるとしながらも、ウクライナの関与があることについて正式に謝罪した。
 事故現場からは、事故機以外の破片が発見された。また、事故機の残骸には地対空ミサイル中の金属球を被弾したために生じたと見られる多数の銃弾痕のような穴が認められ、ミサイルが事故機に命中もしくは近傍で爆発したために墜落したと推測されている。
 本件につき、アメリカ政府当局者は、事故直後から、偵察衛星の赤外線センサーの記録によるとウクライナの軍事演習で発射された地対空ミサイルが命中したようだとの見解を述べていた。
 事故機は1990年に製造され、1999年12月に主要部のオーバーホールを受けていた。
 乗客のうち51名がイスラエル人、15名がロシア人、乗員は全員ロシア人であった。


(C)2001 外山智士
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