2001年7月4日午前2時10分(モスクワ時間3日午後9時10分)頃、ロシア共和国エカテリンブルク発同国イルクーツク経由同国ウラジオストク行きウラジオストク航空(Vladivostokavia 本社:ロシア)352便ツポレフTu-154M(RA-85845)が、イルクーツク空港に着陸進入中、空港から約22Km、イルクーツク市街の南東約34Kmのブルダコフカ村付近の森に墜落した。
この事故で乗員9名、乗客136名、計145名全員が死亡した。乗客の大半はロシア人であったが、中国人も12名搭乗していた。
事故機は2度着陸復行した後、3度目の着陸進入中に墜落した。機体は炎上し、尾翼を残しほぼ全焼した。機体の破片は長さ100m、幅60mの範囲に集中的に散乱した。
事故機は1986年にソ連で生産され、ウラジオストク航空は2000年10月に中国西北航空から中古機として購入した。運航開始から14年が経過していたため、ウラジオストク航空では2000年10月から2001年4月にかけて大がかりな修理を行っていた。