2000年7月25日午後4時44分、フランス・パリ発アメリカ・ニューヨーク行きエール・フランス4590便コンコルド(F-BTSC)が、パリのシャルル・ド・ゴール空港を離陸2分後にパリ北方約20Km、シャルル・ドゴール空港の南西約6Kmの町バルドワーズ県ゴネスでホテルの別館レストラン付近に墜落した。この事故で、乗員9名、乗客100名、計109名全員と墜落現場のホテル付近にいた4名の計113名死亡し、10名以上が負傷した。コンコルドの墜落事故は本件が初めてであった。
事故機はドイツの旅行会社「ペーター・ダイルマン・クルーズ」のチャーター便で、乗客はニューヨークから豪華客船によるカリブ海クルーズでエクアドルに向かう途中であった。
折りしも事故前日の24日に英国航空が、同社保有のコンコルド7機全ての尾翼に亀裂を発見し、うち1機の運航を停止したと発表したばかりで、事故との関係が注目されたが、エールフランスは、事故機からは亀裂は見つからなかったと述べた。これらの亀裂については、同年2月の点検の際に、尾翼で5cm程度のものが確認されたが、安全上問題はないとの判断により、その後も英仏両国の航空当局の監視のもと通常通り運航されていた。しかし、このうち1機の亀裂が拡大していることが判明したために、運航停止の措置をとったものであった。
また事故機は、離陸前の点検で左翼内側の第2エンジンに異状が見つかり、出発直前に部品交換していた。この修理のために数十分出発が遅れており、この点も事故原因との関連が取り沙汰された。
事故原因についてフランス運輸省事故調査局(BEA)は2001年1月5日、離陸滑走中に破裂したタイヤの破片が主翼下面に衝突したことにより、内部の燃料タンクが変形するとともに衝撃波が燃料を伝わってタンクを内側から破壊し、燃料タンクが6回、爆発したという調査報告書を発表した。同報告書ではタイヤ破裂の原因とみられる金属片について、同じ滑走路を事故機の離陸する数分前に離陸したコンチネンタル航空(本社:アメリカ)のDC-10から脱落したものと結論付けた。BEAは、問題の金属片が使用されていたとみられるDC-10の主翼部分の調査も行なったが、機材の消耗が著しく、ダグラス社(現ボーイング社)の定める耐久基準を満たしていないと報告した。コンチネンタル航空機から脱落した部品は、事故の僅か16日前に取り付けられたばかりのものとみられ、部品の交換作業についても不手際があったとし、コンチネンタル航空の整備ミスを指摘した。
本件事故によりコンコルドは全機(エールフランスと英国航空が保有していた)が運航停止となり、事故原因を踏まえた安全対策が施され、路線復帰を果たしたのは、事故から1年3ヶ月半経った2001年11月7日のことであった。しかし、本件事故が影響し、2003年10月24日英国航空での運航を最後に全てのコンコルドが退役した。
本件事故では、犠牲者の遺族らが、エールフランスに対し損害賠償請求訴訟を提訴したが、エールフランス社と保険会社は2000年11月、コンチネンタル航空の責任を追及するために、コンチネンタル航空を相手取り訴訟を起こした。これに対しコンチネンタル航空は、滑走路で発見された部品が我が社のDC-10のものかは確認できないと主張した。
2004年12月14日、BEAとは別に調査を進めていたフランスの司法当局が本件事故の最終調査報告書を発表した。報告書によると事故原因はコンチネンタル航空機から脱落し滑走路上に落下したチタン製の金属片が、事故機のタイヤを引き裂き、そのタイヤ片が燃料タンクを破壊したことであるとし、BEAの調査結果を裏付ける内容となった。