1998年9月2日午後10時31分頃(local Atlantic Daylight Saving Time 〔ADT〕) 、アメリカ・ニューヨーク州ニューヨーク発スイス・ジュネーブ行きスイス航空(SWR)111便(デルタ航空との共同運航便)MD-11型機(HB-IWF)が、緊急着陸に備えた降下中にカナダ・ハリファクス国際空港から約35nm地点、同国ノバスコシア州のPeggy's Coveの南西約5nmの大西洋上に墜落した。
この事故で乗員14名、乗客215名、計229名全員が死亡した。
アメリカ東部夏季時間午後8時18分(ADTでは午後9時18分)にニューヨークのケネディー国際空港を離陸した事故機は、約53分後の午後10時11分(以下ADT)頃、高度33000ftを巡航中に、コックピット内に異常な臭気を生じた。運航乗務員は、コックピットの後方上部から異臭が発生していると感じて調べ始めたが、発生源を目視で確認することが出来ず、空調から出ているものと推測した。その後約3分半の間に煙が立ち込め始めたため、運航乗務員は国際緊急信号「Pan Pan Pan」をMoncton地域管制センターに送信するとともに管制官にコックピット内の煙について報告、緊急事態を宣言し、ボストンに緊急着陸を要請した。この時事故機はカナダ・ノバスコシア州ハリファクスの南西58nmを飛行しており、管制官はボストンより近距離のハリファクス国際空港に着陸するように指示し、同空港への直行を許可した。午後10時18分、Moncton地域管制センターはハリファクス国際空港の滑走路06へのバックコースアプローチのためのレーダー誘導を開始した。午後10時19分、事故機の位置は滑走路端から30マイルにあり、Moncton地域管制センターは360度旋回して幾分高度を下げ、燃料投機を行えるよう事故機に誘導の指示を与えた。午後10時24分、コックピットの状態は明らかに悪化した。交信で運航乗務員は改めて緊急事態を宣言し、燃料投機を始めたことを報告し、直ちに着陸しなければならない差し迫った状況であることも管制官に伝えた。事故機はこの交信を最後に消息を絶った。
事故調査の結果、機首部の天井裏、とりわけ客室とコックピットを隔てる隔壁の約1m前方から数m後方の天井部分の残骸に残された熱による損傷が火災によるものであることが明らかになった。この天井部分に格納されていた配線のワイヤーの多くは、絶縁材が焦げたり燃えた形跡があった。電気配線のアークによって、配線の絶縁材に火がついたのが火災の発端と推測された。パイロットが緊急着陸の準備を進めている午後10時11分から24分までの間に機首部の天井裏では炎が広がっていったが、運航乗務員は気づかなかった。午後10時24分にフライトデータレコーダーは、航空機システムが次々に連続して故障し急激に機能を失っていく様を記録していた。午後10時25分(墜落の約5.5分前)、高度約10000ftを飛行中にレーダースクリーンから機影が消滅し、フライトデータレコーダー、コックピットボイスレコーダーは両方とも記録を停止した。
ワイヤーを絶縁、断熱するための被覆の材質に燃えやすいものが使用されていたことは、本件機上火災を大事故に発展させる重大な原因となった。
本件はスイス航空の設立以来最悪の事故となった。
事故機は1991年に製造された。