1998年2月16日午後8時9分、インドネシア・バリ島デンパサール発台湾・台北行き中華航空676便エアバスA300-622R(B-1814)が、台湾北部、台北近郊の桃園県にある台北国際空港(中正国際空港)に最終進入中、着陸復行しようとした直後に住宅街に墜落した。
この事故で、乗員14名、乗客182名、計196名全員と、近隣住民7名の合計203名が死亡した。
事故機は小雨と霧の中ILS/DMEアプローチで滑走路5Lに進入中、スレッシュホールドから約2.2Km手前の地点でグライドスロープから1000ftも高い高度1515ftとなり、推力設定をゴーアラウンドパワーにした19秒後にスレッシュホールド上を高度1475ftで通過した。ギアが上げられフラップが20度に設定された事故機はピッチ角を増大させながら上昇を続け、ピッチ角35度時点で高度1723ftとなり、高度2751ftに到達した時にはピッチ角が42.7度になり、速度は45ノットにまで低下し、失速に陥り制御不能な降下に転じた。事故機は滑走路5Lを200ft過ぎた地点で電柱や高速道路に衝突した。機体は横滑りしながら付近の数軒の家屋や養魚場、稲田、工場、倉庫を次々と巻きこみながら爆発炎上した。事故当時の空港周辺の霧は視程2400ftで、滑走路5LのRVRは3900ftであった。事故機は視界不良のため着陸復行を管制塔に連絡した直後に墜落、炎上した。
DFDRのデータは、着陸許可が下りた直後に、自動操縦装置が解除され、その直後に大きな機首上げと大幅な上昇と減速が発生したことを示していた。本件は、1994年4月26日に名古屋空港で発生した同社の同型機の事故に酷似しており、同社が過去の事故の教訓を生かすことが出来なかったことが社会的に強く指弾された。本件事故後、中華航空は、ルフトハンザドイツ航空の支援の下、軍隊出身のパイロットにチームプレーを学ばせる目的で、中華航空のパイロット670名全員に再評価と再訓練を行った。
事故機は1990年に製造された。