1996年2月6日午後11時47分、ドミニカ共和国プエルト・プラタ発カナダ・ニューファンドランド島ガンダー経由ドイツ・ベルリン経由同国フランクフルト行きアラス・ナショナル航空(本社ドミニカ共和国)301便(トルコのバージェンエアー・アビエーションチャーターグループからのリース機)ボーイング757-225(TC-GEN)が、プエルト・プラタのジェネラル・グレゴリオ・ルペロン国際空港を離陸5分後プエルト・プラタ沖約15Kmの大西洋上に墜落した。
この事故で乗員13名、乗客176名、計189名全員が死亡した。
事故機は、この日まで20日間もジェネラル・グレゴリオ・ルペロン空港に駐機したままであったが、駐機に際し、3本あるピトー管にカバーをかけなかったため、1本にごみが溜まっていた。離陸後、ピトー静圧管の閉塞のために、機長席の速度計が過大な速度を表示し、自動操縦装置は速度を減少させようとして機首上げと推力減少を行った。さらに高速時に表示されるラダー・レシオ警告が表示されたために機長はさらに速度を減少させた。ところが今度は失速警報が鳴るとともにスティックシェーカーが作動した。パイロットは、計器の誤表示に混乱しており、エンジン出力を上げるべきか下げるべきか判断がつかず、最終的にはなぜか非対称推力に設定され、機体の姿勢は大きく崩れた。GPWSが作動した時には、既に回復不能な失速状態に陥っており、操縦不能のまま墜落した。
副操縦士席の速度計は別の系統のピトー管を用いていたため正確な値を示していたが、パイロットは副操縦士席の速度計の値を無視し、機長席の速度計及びラダー・レシオ警告を信じて行動したため、最後まで自機の正しい状態を把握できなかった。さらに、パイロットは離陸滑走時に機長席と副操縦士席の速度計の値に相違があることに気付いていながら、離陸中止の措置を取らず、マニュアルやチェックリストの参照を怠った。また、離陸後には予備速度計が正しい値を示していることに気付いていながら、機長側のエアデータコンピューターのソースセレクトをオルタネートに切り替えることをしないばかりか、なぜか正しいと確認した予備速度計を飛行の参考にせず、誤った値の計器に翻弄され続けた。加えてEFIS上に表示されている対地速度の参照もしなかった。
事故機が出発する数時間前に本来当該便に就航予定であったボーイング767が故障により就航できなくなり、出発予定時刻の2時間半前に急遽事故機とクルーが手配された。客室乗務員1名がショウアップに間に合わず、出発予定時刻の1時間後の出発となった。急遽フライトが手配されたことに伴う心身にかかるストレスがパイロットの判断に何らかの影響を与えたのではないかとの指摘もある。
事故機は1985年に製造された。
◎関連文献(刊行年順) |
著者名 | 書 名 | 出版社 | 刊行年 | 頁 数 |
デビッド・ゲロー | 「航空事故」(増改訂版) | イカロス出版 | 1997年 | 244頁 |
遠藤 浩 | 「ハイテク機はなぜ落ちるか」 | 講談社(ブルーバックス) | 1998年 | 120頁〜125頁 |
全日本空輸株式会社総合安全推進委員会 | 「Contributing Factors(Vol.1)」 | 全日本空輸 | 1998年 | 71頁〜92頁 |
マルコム・マクファーソン | 「墜落!の瞬間」 | 青山出版社 | 1999年 | 109頁〜115頁 |