1995年12月20日午後9時45分頃、アメリカ・フロリダ州マイアミ発コロンビア・カリ行きアメリカン航空965便ボーイング757-223(N651AA)が、カリ近郊のエル・デルビオ山東斜面8900フィート付近の樹木に接触し、西斜面の頂上付近に墜落した。
この事故で運航乗務員2名、客室乗務員6名、乗客155名、計163名のうち159名が死亡し、4名が重傷を負った。
パイロットはカリへの進入に際し、管制官から最短の進入ルート(ロソ・ワン進入ルート)でも着陸できる旨を知らされた。事故機は2時間遅れで飛行しており、遅れを僅かでも取り戻すため、機長は最短の進入ルートに変更することを決めた。通常のカリへの進入ルートでは、カリ(アルフォンゾ・ボニラ・アラゴン)空港の北方約57KmにあるツルアVORからカリ空港の南方約14KmにあるカリVORに向かい、北に旋回してカリ空港に着陸することになっていたが、ロソ・ワン進入ルートでは、ツルアVORからカリ空港の北方約17KmにあるロソVORを通過して、そのままカリ空港に着陸することが出来た。事故機は、ツルアVORからロソ・ワン進入ルートに入ろうとしたが、既にツルアVORを通過していたため、直接ロソVORに直行することを決めた。その際パイロットは、FMS(飛行制御装置)に変更後のルートのウェイポイントであるロソVOR(ROZO)を入力しようとして頭文字のRを入力した。ところがFMSはそのRをROZOより使用頻度の高い首都ボゴダのROMEOに向かう指示と判断して(FMSは付近に同じ頭文字を持つウェイポイントがある場合はより使用頻度の高いコースを選択するようプログラムされていた。)コースを大きく左にとってアンデス山脈に迷い込んだ。パイロットはコースの変更をFMSに任せきりにして、自ら自機の位置を把握しようとしないまま降下を続けた。カリ近郊はアンデスの急峻な地形が広がっており、自機の位置を把握しないまま降下するには、危険な状態であった。コースが左にそれたことに気づいた機長は右旋回しコースを修正するように副操縦士に指示したが、既に山岳地帯に迷い込んでおり、約1分後にはGPWSが鳴動し始めた。パイロットは、GPWSを耳にして、冷静さを欠き、進入に際し急降下するために開いたフライトスポイラーを閉じることなく機首上げを行った。結果エンジンを最大出力にしたにもかかわらず機体は上昇することができず山頂をかすめながら墜落した。
◎関連文献(刊行年順) |
著者名 | 書 名 | 出版社 | 刊行年 | 頁 数 |
デビッド・ゲロー | 「航空事故」(増改訂版) | イカロス出版 | 1997年 | 243頁〜244頁 |
遠藤 浩 | 「ハイテク機はなぜ落ちるか」 | 講談社(ブルーバックス) | 1998年 | 99頁〜108頁 |
マルコム・マクファーソン | 「墜落!の瞬間」 | 青山出版社 | 1999年 | 263頁〜282頁 |