1991年5月23日午後1時6分、ソビエト連邦グルジア共和国(当時:現グルジア)スフミから同国ロシア共和国(当時:現ロシア連邦)レニングラード(当時:現サンクトペテルブルク)に向かっていたアエロフロート航空のTu-154B-1(SSSR-85097)が、レニングラードのプルコボ国際空港で最終進入中に滑走路の手前にハードランディングした。
この事故で乗員6名、乗客172名、計178名のうち乗客13名と地上の2名の計15名が死亡し、38名が負傷した。
事故機は高い降下率で降下し、滑走路の手前13mの地点に激しく接地して右主脚が折損し、機体は中破した。事故当時空港周辺はにわか雨で日が差していた。
事故機は1975年に製造された。