1991年2月1日午後6時7分、アメリカ・カリフォルニア州ロサンゼルス発同州パームデール行きスカイウェスト航空5569便フェアチャイルド・メトロ(N683AV)とニューヨーク州シラキュース発ワシントンD.C.経由オハイオ州コロンバス経由カリフォルニア州ロサンゼルス経由同州サンフランシスコ行きUSエアー1493便ボーイング737-3B7(N388US)がロサンゼルス国際空港の滑走路24L上で衝突した。
この事故でスカイウェスト航空機の乗員2名、乗客10名、計12名全員とUSエアー機の乗員6名、乗客83名、計89名のうち乗員2名、乗客20名、計22名の合計34名が死亡した。
管制官はスカイウェスト航空5569便を同機の求めに応じて滑走路24Lの途中から離陸させるため滑走路上で待機するように指示を出したが、直後に担当の別の航空機が誤って周波数を変更し交信不能になり、この対応に追われたうえに、交信を求めてきたウィングス・ウェスト5072便メトロの運航票が手元に届いていなかったことからこれを探すのに時間を裂かれた。これらのトラブルにより管制官の作業量が増大し混乱が生じた。最終的に管制官は、スカイウェスト5569便を滑走路の手前にいたウィングス・ウェスト5072便と取り違え、滑走路24L上には航空機はないと誤認して、最終進入中のUSエアー機に着陸許可を与えた。
事故発生時は日没後で、滑走路上のスカイウェスト航空機はUSエアー機からは滑走路上の灯火に混じって視認困難であった。
USエアー機はスカイウェスト航空機の後方から衝突した。USエアー機の機首はスカイウェスト航空機の尾部を下敷きにするように衝突し、スカイウェスト航空機を巻き込みながら滑走路の左側に滑り、約400m先の旧消防署庁舎に激突して炎上した。衝突時にUSエアー機の機首部の乗員用酸素ボトルが破損し、酸素が漏出し火災の勢いを強めたことがUSエアー機における人的被害を拡大した。USエアー機においては機体停止時には機長を除く全員が生存していた。
USエアー機は1985年に製造され、スカイウェスト航空機は1987年に製造された。
◎関連文献(刊行年順) |
著者名 | 書 名 | 出版社 | 刊行年 | 頁 数 |
加藤寛一郎 | 「墜落 第七巻 衝突とニアミス」 | 講談社 | 2001年 | 162頁〜230頁 |