1981年8月24日午前9時21分、ソビエト社会主義共和国連邦ロシア連邦共和国(当時:現独立国家共同体ロシア連邦)ユジノサハリンスク発同国コムソモリスクナアムーレ経由同国ブラゴヴェシチェンスク行きアエロフロート航空のアントノフAn-24RV(CCCP-46653)が、巡航中にソビエト空軍のツポレフTu-16と空中衝突し、同国ザヴィチンスクの東方約70kmの地点に墜落した。
この事故で乗員5名、乗客27名、計32名のうち、乗員5名、乗客26名、計31名と空軍機の乗員6名の合計37名が死亡した。唯一の生存者は20歳の女性乗客で3日後に森の中で発見された。
アエロフロート航空機はコムソモリスクナアムーレを午前7時56分に出発し、フライトレベル170で巡航中にソビエト空軍機と空中衝突した。アエロフロート航空機は空中分解して墜落し、ソビエト空軍機も墜落した。ソビエト空軍機は2機の軍の気象調査用航空機を支援するために飛行していた。民間と軍の管制官の間で充分なコーディネーションが行なわれなかったことが事故原因といわれている。
アエロフロート航空機は1974年に製造された。