1980年9月12日午後8時58分、アメリカ・フロリダ州ウエストパームビーチ発バハマ・グランドバハマ島フリーポート行きFlorida Commuter AirlinesのDC-3A(N75KW)が、フリーポート・グランドバハマ国際空港へ着陸進入中にバハマ・West End Settlementの南西約6.5km沖合の大西洋に墜落した。
この事故で乗員4名、乗客30名、計34名全員が死亡した。
事故機は、ウエストパームビーチ国際空港で午後7時40分に離陸滑走を開始したが、対気速度計の異常により離陸を中止し、ランプに引き返した。点検の結果、両方のピトー管は前部あるいは一部がジガバチの巣で覆われていたことが分かった。対気速度計が作動をすることを確認のうえ、事故機は午後8時35分に同空港を離陸した。午後8時49分にマイアミセンターは事故機にフリーポート空港への進入とHalbiインターセクションを高度4000ftで交差することを許可した。午後8時57分頃、フリーポートアプローチは、事故機に高度1400ftへの降下とフリーポート空港滑走路24へのVORアプローチでの着陸を許可した。この交信を最後に事故機は消息を絶った。墜落現場周辺は、事故当時、雲底高度が低く、視程も低いうえ、雷雨で中程度の乱気流を伴っていた。
事故調査委員会は原因不明の結論を出したが、寄与した要因として、雷雨と乱気流の存在が分かっていながら回避しなかったこと、ピトー静圧管の不具合によって飛行計器の信頼性に影響があったこと、航空会社の経営者による監督が適切に行なわれなかったことが指摘された。
事故機は1942年に製造された。