1980年6月12日午後1時44分、ソビエト連邦タジク共和国・Leninabad(当時:現独立国家共同体タジキスタン共和国・Khudzhand)から同国タジク共和国(当時:現独立国家共同体タジキスタン)・ドゥシャンベに向かっていたアエロフロート航空のヤコブレフYak-40(CCCP-87689)が、ドゥシャンベ空港へ着陸進入中にドゥシャンベの北西約44kmの地点の山に墜落した。
この事故で乗員4名、乗客25名、計29名全員が死亡した。
Leninabadからドゥシャンベの間を飛行中に、運航乗務員は雷雲を避けるために約67km航路を逸脱した。運航乗務員はその後、ビーコン上空の通過を報告し、これを受けて航空管制官は、事故機に高度6000mから4800mへの降下を許可したが、実際には事故機は、そのビーコンから37km離れた位置を飛行していた。それから運航乗務員は、定められた高度でアウターマーカーを通過した旨報告し、管制官を高度3600mへの降下を許可したが、事故機は実際には43km離れた位置にあった。高度2100mへの降下の許可が出たため、運航乗務員は降下を継続し、手順に定められた右旋回を行なった。高度2840mで、運航乗務員は飛行している場所が正しくないことに気付き、降下を中止し左旋回に入った。事故機は、雲に突入し、山腹に衝突した。
事故機は1969年に製造された。