1979年11月28日午後12時49分、ニュージーランド・オークランド発同国クライストチャーチ行きの南極観光不定期便のニュージーランド航空901便DC-10-30(ZK-NZP)が、南極大陸のエレバス山(Mt.Erebus)付近に墜落した。
この事故で乗員20名、乗客237名、計257名全員が死亡した(邦人24名含む)。
ニュージーランド航空の作成した飛行計画には、途中通過するマクマード基地のTACANの経度の座標(正しい位置から西に2度20分、約48kmずれた座標が記載されていた)などに誤りがあり、それに伴ってパイロットにも誤った情報が与えられ、これら誤った情報に基づいて訓練などが繰り返し行なわれていた。事故の2週間前にニュージーランド航空は誤りに気付いていたが、実際に飛行計画が修正されたのは事故当日になってからであり、しかもパイロットには事前の情報に誤りがあり飛行計画が修正された事実は知らされていなかった。
パイロットは悪天候の中、雲の切れ目を見つけ、予定よりも早く、ニュージーランドの規程に反して高度を下げようとした。パイロットは誤った航路を正しいものと信じて降下を続けた。誤った航路上では事故機の現在位置はエレバス山の西側の洋上の平坦な棚氷の上の筈であった。事故当時、ホワイトアウト現象が発生していたと見られ、パイロットが高度の異常に気付くのが妨げられた。
墜落の直前になって2名のフライトエンジニアは不安を訴え、直後に作動したGPWSに機長はすばやく対応したが、間に合わなかった。
発見された機体の残骸は、1.6km以上の範囲にわたって散乱し、その散乱状況から水平飛行に近い姿勢で巡航速度で墜落したことが判明した。従って、墜落の衝撃で乗員乗客全員が死亡したと推測され、救助隊の到着に11時間を要したことと全員死亡の間に関連はないとされている。
事故機は同社がこの年に4回限りで計画した南極ツアーの第4回目であった。3回目までが無事に終えられたのは、有視界飛行条件下でのフライトが出来たために過ぎなかった。本件は南極大陸での初の民間航空機の事故であり、ニュージーランドの航空史上最悪の惨事となった。
◎関連文献(刊行年順) |
著者名 | 書 名 | 出版社 | 刊行年 | 頁 数 |
デビッド・ゲロー | 「航空事故」(増改訂版) | イカロス出版 | 1997年 | 162頁〜164頁 |
遠藤 浩 | 「ハイテク機はなぜ落ちるか」 | 講談社(ブルーバックス) | 1998年 | 93頁〜96頁 |
加藤寛一郎 | 「墜落 第十巻 人間のミス」 | 講談社 | 2002年 | 21頁〜55頁 |
デヴィッド・ビーティ | 「機長の真実」 | 講談社 | 2002年 | 233頁〜237頁 |
桑野偕紀 前田荘六 塚原利夫 | 「そのとき機長は 生死の決断」 | 講談社 | 2002年 | 150頁〜173頁 |
デイヴィッド・オーウェン | 「墜落事故」 | 原書房 | 2003年 | 183頁〜190頁 |