1979年8月29日午前0時26分、ソビエト連邦ウクライナ共和国(当時:現独立国家共同体ウクライナ)オデッサから同国ウクライナ共和国キエフを経由し同国ロシア連邦共和国(当時:現独立国家共同体ロシア連邦)カザンに向かっていたアエロフロート航空のツポレフTu-124V(CCCP-45038)が、巡航中にロシア連邦共和国Kirsanov近郊に墜落した。
この事故で、乗員5名、乗客58名、計63名全員が死亡した。
事故機は、キエフ・Borispol空港を午後11時21分に出発し、高度約27000ftに上昇した。離陸約1時間後に事故機はコントロールを喪失し、スピンに突入した。高度約3000mまで落下した時点で、事故機は過度の負荷により分解し、残骸は広範囲にわたって散乱した。
伝えられるところでは、事故機は高度約27000ftを巡航中に、運航乗務員が意図しないフラップの展開によりコントロールを喪失した。
事故機は1963年に製造された。