1979年5月25日午後3時4分、アメリカ・イリノイ州シカゴ発カリフォルニア州ロサンゼルス行きアメリカン航空191便DC-10-10(N110AA)が、シカゴ・オヘア国際空港を離陸直後に墜落した。
この事故で、乗員13名、乗客258名、計271名全員と地上の2名の合計273名全員が死亡し、地上の2名が重傷を負った。
事故機は離陸のために機首を引き上げた際に左翼の第1エンジンがパイロンもろとも脱落し、そのまま高度325ftまで上昇後、左に傾き機首を下げながら、滑走路端から約1.6Km、滑走路中心線から左方に約300mの地点の駐車場に墜落した。離陸から僅か31秒後のことであった。
NTSBの調査の結果、事故機の左エンジンのパイロンの後部隔壁の上部取付金具に金属疲労による亀裂があり、離陸時の過重に耐えきれずエンジンの脱落を招いたことが明らかになった。アメリカン航空ではエンジンを取り外しての整備の際に、本来ならばパイロンからエンジンを取り外し、エンジンを下ろしてからパイロンを外すべきところ、手順を簡略化して、パイロンごとフォークリフトで支えて取り外す方法をとっており、事故機も事故の2ヶ月前にこの整備を受けていた。その際にフォークリフトの操作が上手く行かず、パイロンに無理な力がかかって金属疲労を生む原因を作っていたことが分かった。事故機は、エンジン脱落により、左翼1番・3番スラットの油圧パイプが切断されるとともに第1エンジンから供給されていた電力が絶たれた。このため左翼のスラットは風圧で格納され、左翼の失速速度のみが上昇し、左翼が失速した。また、第1エンジンの電力供給がなくなったことで、機長席の計器類が機能しなくなるとともに、失速警報やスティックシェーカー、スラット・ディスアグリー警報灯(スラットの左右非対称を告げる警報装置)といった、本件では重要な役割を果たすべき装置がことごとく作動しなくなった。電源の切り替えも時間的にはかなり難しかったものと見られており、運航乗務員には最後まで機体に何が起こっているのか知る術もなく、墜落は不可避であった。
この事故の発生を受けて、DC-10はアメリカ国内では37日間に及ぶ運航停止を余儀なくされ、DC-10のセールスに大きな打撃を与えた。
◎関連文献(刊行年順) |
著者名 | 書 名 | 出版社 | 刊行年 | 頁 数 |
デビッド・ゲロー | 「航空事故」(増改訂版) | イカロス出版 | 1997年 | 155頁〜159頁 |
宮城雅子 | 「大事故の予兆をさぐる」 | 講談社(ブルーバックス) | 1998年 | 68頁〜70頁 |
加藤寛一郎 | 「墜落 第五巻 エンジン損傷」 | 講談社 | 2001年 | 35頁〜65頁 |
デヴィッド・ビーティ | 「機長の真実」 | 講談社 | 2002年 | 317頁〜322頁 |