1979年3月17日午後7時44分、ソビエト連邦・ロシア連邦共和国(当時:現独立国家共同体ロシア連邦)モスクワから同国ウクライナ共和国(当時:現独立国家共同体ウクライナ)オデッサに向かっていたアエロフロート航空のツポレフTu-104B(CCCP-42444)が、モスクワ・ブヌコボ空港を離陸直後に同空港近傍に墜落した。
この事故で、乗員6名、乗客100名、計106名のうち乗員1名、乗客85名、計86名が死亡した。
事故機は午後7時30分頃ブヌコボ空港を離陸直後に第1エンジンの火災警報が鳴動したため、ブヌコボ空港に引き返すことを決めた。降雨と霧による低視程の中、事故機はグライドスロープより下に降下した。主翼が高圧線の鉄塔に衝突し、小さな丘の頂上に接触したのち再び浮揚した。高度5〜10mでモスクワ−キエフハイウェイを横切った後、凍てついた耕地に墜落した。主翼とコックピットを喪失した機体は地上を滑り、ハイウェイから200m、最初に地上に接触した場所から1920mの地点で停止した。
事故機の離陸時の重量は、10.7トン過積載の状態にあった。また、機長のツポレフTu-104型の飛行経験は僅か32時間であった。なお、離陸直後に鳴動した火災警報は誤報であった。
事故機は1959年に製造された。