1978年9月25日午前9時2分、アメリカ・カリフォルニア州サクラメント発同国カリフォルニア州ロサンゼルス経由同国カリフォルニア州サンディエゴ行きパシフィック・サウスウェスト航空(USエアーの前身)182便ボーイング727-214(N533PS)が、サンディエゴ・リンドバーグ飛行場に着陸進入中、近傍を訓練飛行中のセスナ172M(N7711G)と高度約2500ftで空中衝突し、両機とも住宅街の道路に墜落した。
この事故でパシフィック・サウスウエスト機の乗員7名、乗客128名、計135名全員とセスナ機の乗員2名、地上の7名の合計144名が死亡し、地上の7名が重軽傷を負った。
事故当時、サンディエゴ周辺は快晴で視程も16Km以上あった。
管制官は事故の約3分前からパシフィック・サウスウエスト機に対し、セスナ機の存在を伝えていたが、パシフィック・サウスウエスト機のパイロットは他の航空機を当該セスナ機と誤認し、当該機を視認した旨の返答をした。これを受けて管制官はセスナ機に対し、パシフィック・サウスウエスト機の存在とパシフィック・サウスウエスト機が既に貴機を視認している旨を伝えた。管制官はその後2度セスナの位置をパシフィック・サウスウエスト機に連絡したが、パシフィックサウスウエスト機は、最初に確認した別の飛行機をそのセスナと思いこみ、応答していた。最後にセスナ機の位置を連絡した時には、パシフィック・サウスウエスト機は、セスナ機はもう既に横を通過した旨回答した。セスナ機のパイロットはこのやり取りを聞いて安心していた。セスナ機からはパシフィック・サウスウエスト機は背後上方から迫るかたちとなり、視認は困難であった。管制センターでは、衝突警報が作動していたが、管制官はパシフィック・サウスウエスト機のセスナ機を視認しているとの言葉を信じて、特に対応することはなかった。
パシフィック・サウスウエスト機のパイロットは衝突9秒前にセスナ機を下方に視認したが、回避には間に合わなかった。
なお、事故直後NTSBは、パシフィック・サウスウエスト機のパイロットが他の航空機を誤認したとは思わず、当該セスナを視認した後、見失ったものと考えており、その点を踏まえて公式の事故調査報告書も作成した。ところが、事故の2年後になって、事故当時同空域を別の航空機(セスナ150)が飛行し、パシフィック・サウスウエスト機とすれ違っていた事実が明らかになり、パシフィック・サウスウエスト機のパイロットは、この航空機と当該セスナ機を誤認していたことがほぼ確実となった。しかし、NTSBは事故原因の再考は行わなかった。
◎関連文献(刊行年順) |
著者名 | 書 名 | 出版社 | 刊行年 | 頁 数 |
デビッド・ゲロー | 「航空事故」(増改訂版) | イカロス出版 | 1997年 | 149頁〜154頁 |
マルコム・マクファーソン | 「墜落!の瞬間」 | 青山出版社 | 1999年 | 73頁〜77頁 |
デヴィッド・ビーティ | 「機長の真実 ―The Naked Pilot―」 | 講談社 | 2002年 | 73頁〜80頁 |
デイヴィッド・オーウェン | 「墜落事故」 | 原書房 | 2003年 | 154頁〜157頁 |