1978年9月3日午後5時30分、ローデシア共和国(当時:現ジンバブエ共和国)・Kariba発同国Salisbury行きAir Rhodesia825便ビッカーズ782Dバイカウント(VP-WAS)が、Kariba近郊の同国Whamira Hillsに不時着を試みて大破した。
この事故で乗員4名、乗客52名、計56名のうち乗員4名、乗客34名、計38名が死亡した。
事故機は、午後5時10分にKariba空港を離陸したが、離陸後間もなく右主翼にSAM-7地対空ミサイルを被弾した。運航乗務員は緊急降下を実施し、藪の中の大きな空き地に不時着しようと試みた。事故機は灌漑用の溝に衝突し、大破、炎上した。
SAM-7ミサイルはJoshua Nkomo率いるジンバブエ・アフリカ人民同盟(ZAPU)の軍事部門であるジンバブエ独立人民共和国軍(ZIPRA)が事故機を狙って発射したものであった。さらにZIPRAの兵士は、墜落現場に急行し、生存者18名のうち10名を虐殺した。残る生存者8名は、ZIPRAの兵士に捕まることなく逃げ延び、karibaまで約20kmの距離を自力でたどり着いて翌日に救助された。
ZIPRAは、翌年(1979年)2月12日にもAir RhodesiaのバイカウントをKariba近郊で撃墜した。
事故機は1958年に製造された。