1975年10月30日午前9時20分頃、ユーゴスラビア(当時)・チバからチェコスロバキア(当時、現チェコ)・プラハに向かっていたイネックス・アドリア航空(本社:ユーゴスラビア)のDC-9-32(YU-AJO)が、プラハのルージン空港に着陸進入中、滑走路の手前約8Km、滑走路面より約100m低い渓谷の低地に墜落した。
この事故で乗員5名、乗客115名、計120名のうち、乗員4名、乗客73名、計77名が死亡し、乗員1名、乗客42名、計43名が重軽傷を負った。
管制から降下承認を受けた高度以下に降下したことが主な原因であったが、霧のため視程が1.5Kmしかなかったことも誘因として挙げられている。また、一部の航法援助施設が事故当時作動していなかった可能性もあった。事故機は墜落の直前に誤りに気付き最大推力で上昇しようとしたが、高度が下がりすぎており間に合わなかった。