1974年5月2日午後7時30分頃、エクアドル・パスタサ発のATESA (Aerotaxis Ecuatorianos SA) のダグラスC-47(HC-AUC)が、巡航中にエクアドル・バーニョス近郊に墜落した。
この事故で、乗員3名、乗客22名、計25名のうち、乗員2名、乗客18名、計20名が死亡した。
事故機はパスタサ空港を午後7時13分に出発し、高度11500ftまで上昇した。運航乗務員は、その高度を維持したままバーニョス峡谷上空を飛行したが、その地域の最低安全高度は12500ftであった。事故機の左主翼は低層雲に包まれた山肌に衝突し分離した。事故機はそのまま標高11200ftの山中に墜落し、残骸は翌日発見された。
推定原因としては、最低安全高度に上昇しなかったこと、Rio Negroからバーニョスまでの間、方位275度を維持しなかったこと、機長が自らを過信していたこと、コクピット内に観光ガイドを入れたことにより運航乗務員の注意がそがれた可能性があることなどが指摘された。