1974年4月27日、ソビエト連邦(当時)ロシア共和国レニングラード(当時、現サンクトペテルブルグ)から同国ウクライナ共和国ザポロージェを経由してロシア共和国クラスノダルに向かっていたアエロフロート航空のイリューシンIL-18V(CCCP-75559)が、レニングラードを離陸直後に墜落した。
この事故で乗員7名、乗客102名、計109名全員が死亡した。
事故機は離陸上昇中に右翼第4エンジンに火災と異常振動が発生し、緊急着陸のための進入中に急激に制御を失い右に横転し滑走路手前1.5Kmの地点に墜落した。エンジン火災はタービンディスクが金属疲労により破断したのが原因であり、急激に制御が失われた原因は火災が右翼のフラップの駆動装置を焼損させたために、左右のフラップ角がアンバランスになったためであった。