1974年3月3日午後12時40分、トルコ・イスタンブール発フランス・パリ経由イギリス・ロンドン行きトルコ航空981便DC-10-10(TC-JAV)が、パリの北東約37Kmのエルムノンビルの森に墜落した。
この事故で乗員12名、乗客334名、計346名全員が死亡した。死者には48名の日本人が含まれていた。
事故機はパリのオルリー空港を離陸10分後、高度11500ft付近まで上昇したときにロックが不完全であった左舷の後部貨物室ドアが客室の与圧に耐えきれなくなり吹き飛んで急減圧が起こり、客室の床が破壊され、それに伴い床下を通るコントロールケーブルが切断されて、方向舵、昇降舵、尾部エンジンの制御ができなくなり、操縦不能に陥った。懸命の操縦も空しく後部貨物室ドアの脱落から1分17秒後に墜落に至った。
DC-10の貨物ドアのドア開閉機構とロック機構には、半ドア状態になりやすく、最悪の場合ドアが吹き飛び急減圧により客室床が陥没するおそれのある重大な欠陥があることを、1号機のロールアウト前の与圧試験の段階からダグラス社は認識していたが、設計変更等を行うことなく、簡単な改修を加えただけで販売を続けていた(なお、事故機の製造記録書類ではこの改修が済んでいる旨記されていたが、残骸を調査した結果、実際には改修されていなかったことが分かっている)。貨物ドアの開閉は電動モーターで行ない、閉じる際にはハンドルを押し込んで二重ロックをかけるシステムであったが、ハンドル操作を強引に行なうと内部のピンが曲がって、外見上は半ドア状態でも二重ロックがかかったように見えてしまう欠陥があった。本件の1年9ヶ月前の1972年6月12日にはアメリカン航空のDC-10-10の後部貨物ドアが飛行中に脱落して客室床の一部が落ち、コントロールケーブルが損傷を受けるという本件とほぼ同じ概要の事故(負傷者11名)が起こっていたが、幸いこの時は緊急着陸に成功していた。アメリカン航空の事故を受けてFAAではDC-10の後部貨物ドアのロック機構に関するAD(対空性改善通知)を出そうとしたが、FAA上層部によって握りつぶされた。ADの発行取消が大統領選挙の票集めに利用されたといわれている。本件事故は起こるべくして起こったものとして、ダグラス社は長く批判を浴びることになった。
本件事故を契機に、DC-10のコントロールケーブルの配置は、客室床の陥没によっても切断されないように胴体サイドに変更された。また、急減圧の際にも客室床が破壊されることがないように、DC-10をはじめとする大型機の客室床の強度は増され、貨物室と客室の間に気圧差が生じないように空気抜きの穴も設けられた。
◎関連文献(刊行年順) |
著者名 | 書 名 | 出版社 | 刊行年 | 頁 数 |
デビッド・ゲロー | 「航空事故」(増改訂版) | イカロス出版 | 1997年 | 125頁〜128頁 |
加藤寛一郎 | 「墜落 第二巻 新システムの悪夢」 | 講談社 | 2001年 | 123頁〜161頁 |
デヴィッド・ビーティ | 「機長の真実」 | 講談社 | 2002年 | 322頁〜323頁 |