1972年12月8日午後2時28分、アメリカ・ワシントンDC発同国イリノイ州シカゴ経由ネブラスカ州オマハ行きユナイテッド航空553便ボーイング737-222(N9031U)が、着陸進入中にシカゴ・ミッドウェイ空港から2kmに地点に墜落した。
この事故で乗員6名、乗客55名、計61名のうち乗員3名、乗客40名、計43名と地上の2名の合計45名が死亡した。
事故機は午後0時50分にワシントン・ナショナル空港を出発した。シカゴの管制センターは、事故機に対し4000ftへの降下の指示とシカゴ・ミッドウェイ空港のローカライザーコースへのレーダー誘導を行った。午後2時19分、事故機の管制はシカゴアプローチに移管された。シカゴアプローチは、事故機に180ノットへの減速を指示し、後に160ノットへの減速を指示した。午後2時23分にシカゴアプローチは事故機に高度2000ftへの降下と、前方を飛行中のアエロコマンダーとの飛行間隔を維持するためさらに減速するよう指示した。午後2時24分にアエロコマンダーはアウターマーカーを通過し、着陸許可を受けた。午後2時26分に事故機もアウターマーカー上空に到達した。午後2時27分4秒、管制官は、事故機を進入復行させることを決断し、方位180度への左旋回と高度2000ftへの上昇を指示した。それと時を同じくして、高度1000ftに到達した事故機では、スティックシェーカーが突然作動した。パイロットは直ちにエンジンを最大出力にし、脚の格納を行い、進入復行の手順を実行した。事故機は、生存者の証言によると少なくとも30度以上も機首上げた姿勢で降下し続けた。事故機は立ち木に引っかかり、木々や複数の家屋、電柱、複数の電線、複数の車庫などに立て続けに衝突した後、停止した。火災が発生し機体は焼損した。
事故機は、水平飛行が維持できない程減速しており、そのため降下を止めるための引き起こし操作で失速に陥った。機長が肯定的な飛行管理を行えなかったことが推定原因であるとされた。
事故機は1968年に製造された。