1972年1月26日午後4時10分、スウェーデン・ストックホルム発ユーゴスラビア・ベオグラード行きJATユーゴスラビア航空364便DC-9-32(YU-AHT)が、高度33000ftを巡航中に空中爆発しチェコスロバキア・Hermsdorf近郊に墜落した。
この事故で乗員5名、乗客23名、計28名のうち、乗員4名、乗客23名、計27名が死亡した。
事故機は前方貨物室に仕掛けられた手製爆弾の爆発により墜落した。客室最後部にいた22歳の客室乗務員は、両足骨折と下半身麻痺を負ったが生還した。彼女は27日間昏睡状態に陥り、回復するのに1年4ヶ月を要した。
爆弾はクロアチアの過激派「Ustasji」により仕掛けられたと考えられている。
事故機は1971年に製造された。