事故詳細

(事故No,19711224a)

 1971年12月24日午後0時36分頃、ペルー・リマ発同国プカユパ(Pucallpa)経由同国イキトス(Iquitos)行きLANSA(Lineas Aereas Nacionales SA) ペルー航空(本社:ペルー)508便ロッキード188Aエレクトラ(OB-R-941)が巡航中に空中分解し、同国ワヌコ(Huanuco)のプエルト・インカ(PuertoInca)近郊のジャングルの中の山岳地帯に墜落した。
 この事故で、乗員6名、乗客86名、計92名のうち、乗員6名、乗客85名、計91名が死亡し、乗客1名が負傷した。 ※乗員9名、乗客82名、計91名のうち、乗員9名、乗客81名、計90名が死亡し、乗客1名が負傷とする資料もある。
 事故機はリマのJ Chavez 国際空港(LIM)を離陸してから約40分後、激しい乱気流と雷雲に遭遇したが、そのまま荒天の中を約20分間にわたり、目的地に向け飛行していた。事故機は離陸約1時間後、高度21000ft(地表からは10000ft)を巡航中、右主翼が炎上するとともに分離し、左主翼も折れ曲がり、胴体などにも損傷を受け墜落に至った。
 右主翼が分離し、空中分解に至った原因としては、落雷が原因とする説とパイロットが激しい乱気流の中、水平飛行を維持しようと無理な操縦をして、機体に過剰な力が加わったためとする説がある。
 唯一の生存者である17歳の女性乗客は、事故後10日目にジャングルの中でハンター3名により発見された。女性は発見されるまでの10日間、風雨に晒されながらジャングルをさまよい歩いていた。事故機の残骸は事故後14日を経て発見されたが、墜落現場の状況から、墜落直後には10名以上が生存していたものとみられ、捜索救助活動の遅れが被害を拡大した。
 墜落後に10名以上が生存し得た理由としては、墜落直前の機体に強烈な上昇気流が働き、衝撃を和らげたためであると推測されている。
 事故機は1959年に製造された。

◎関連文献(刊行年順)
著者名書 名出版社刊行年頁 数
デビッド・ゲロー「航空事故」(増改訂版)イカロス出版1997年104頁
上記文献のうち現在も流通しているものについてはこちらで入手できます。
 


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