1971年5月23日午後8時頃、イギリス・ロンドンからユーゴスラビア(当時・現クロアチア)・リエカに向かっていたアビオジェネックス航空のツポレフTu-134A(YU-AHZ)が、リエカ空港に最終進入中滑走路に墜落した。
この事故で乗員乗客計83名のうち、客室乗務員3名、乗客75名、計78名が死亡し、運航乗務員3名、乗客1名、計4名が重傷を負った。
事故機はILSに従ったアプローチを行っていたが、滑走路端から4Km、高度300mの地点で激しい雨と乱気流に遭遇し、アプローチ経路から逸脱した。パイロットはビジュアルアプローチに切り替えてアプローチを継続して針路を修正し、滑走路に正対することが出来たが、高度がグライド・パスよりも高かったので、スロットルを絞り機首を下げる操作を行った。事故機はそのまま滑走路にたたきつけられ、爆発炎上した。
死者の多くは墜落の衝撃ではなく、火災による一酸化炭素中毒、あるいは一酸化炭素が発生したことによって救出活動が遅れたことによるものであった。また墜落直前のパイロットの操作は激しい雨によって発生した光学的屈折による錯覚(滑走路が実際よりも近く見え、高過ぎると錯覚する)に基づくものと推測された。