1967年7月19日午後12時1分、アメリカ・ジョージア州アトランタ発同国ノースカロライナ州アッシュビル経由同国バージニア州ロアノーク経由同国ワシントンDC行きピードモント航空(USエアーの前身)22便ボーイング727-22(N68650)とアメリカ・ノースカロライナ州シャーロットから同州アッシュビルに向かっていたランスエアー(本社:アメリカ)のセスナ310(N3121S)が、アッシュビルの南東約25Kmの高度6000ftの上空で空中衝突し、両機ともノースカロライナ州ヘンダーソンビルに墜落した。
この事故で、ピードモント航空機の乗員5名、乗客74名、計79名全員とランスエアー機の3名の計82名が死亡した。
ランスエアー機は定められた進入コースを南西に約15Kmも逸脱しており、ジェット機の航空路に侵入していた。逸脱の原因は特定されなかったが、ランスエアー機は、事前にアトランタ航空管制センターからアッシュビル空港ではILSアプローチが行なわれていることを通知されていた。これにより、ランスエアー機のパイロットには、ILSアプローチのためにブロードリバー無線ビーコンに向かう許可が与えられるはずとの思い込みが生じた。続いてアッシュビル・アプローチの管制官がアッシュビル無線ビーコンに向かうようにとの管制指示をブロードリバー無線ビーコンと言い間違えたため、ランスエアー機はいよいよ誤ったコースに進むことになった。管制官は即座にビーコン名の言い間違いに気づき、言い直したが、ランスエアー機のパイロットが使用していたアプローチチャートは3年前に発行された古いもので、アッシュビル無線ビーコンが記載されていなかった。アッシュビル・アプローチは、ランスエアー機にADFアプローチを許可するつもりで、しばらくしてその許可を出したが、その時既にコースを大きく外れており、衝突76秒前であった。
当時、アッシュビル・アプローチには、レーダーは整備されていなかった。
本件事故後、アメリカ連邦航空局(FAA)は、全ての航空機に可能な限り全ての航法ビーコンが表示されたアプローチチャートを搭載することを義務付けた。
ピードモント航空機は1963年に製造された。
◎関連文献(刊行年順) |
著者名 | 書 名 | 出版社 | 刊行年 | 頁 数 |
デビッド・ゲロー | 「航空事故」(増改訂版) | イカロス出版 | 1997年 | 74頁〜78頁 |
デイヴィッド・オーウェン | 「墜落事故」 | 原書房 | 2003年 | 191頁〜197頁 |