1967年6月3日午後10時6分、イギリス・マンストンからフランス・ペルピニャンに向かっていたAir Ferry Ltd.(本社:イギリス)のDC-4(G-APYK)が、ペルピニャン空港に着陸進入中、空港の南西約40Kmのフランス・ルション地方プラモドロのピレネー山脈に墜落した。
この事故で乗員5名、乗客83名、計88名全員が死亡した。
事故機は予定航路を西に約15Kmも逸脱して飛行していた。パイロットは、ペルピニャンVORを航路標識として利用せず、航法計器を参照せずに安全高度以下に降下させるような異常な操縦をしていたことが分かった。パイロットの遺体を調べたところ、全員が墜落前に重度の一酸化炭素中毒に陥り判断能力を失っていたことが推測された。ヒーターの排気管の損傷により排気ガスが機内に充満したものと見られている。この事故では航路の逸脱に気付かなかった管制官の責任も問われた。