1967年2月16日世界標準時午前5時21分、インドネシア・ジャカルタ発同国スラバヤ経由同国マカッサル経由同国マナド行きガルーダインドネシア航空708便ロッキードL-188Cエレクトラ(PK-GLB)が、マナド・サムラトランギ空港へ最終進入中に滑走路手前に墜落した。
この事故で乗員8名、乗客84名、計92名のうち乗客22名が死亡した。(搭乗乗客数を55名、搭乗者数計63名とする情報もある)
事故機は世界標準時2月15日午前0時30分にジャカルタを出発した。スラバヤに到着し、次いでマカッサルに向かったが、マカッサルは悪天候であったためスラバヤに引き返し、以降の運航スケジュールであるスラバヤ−マカッサル間、マカッサル−マナド間は翌日に行うことにした。翌2月16日のマナドの天候は雲底高度900ft、視程2kmであった。滑走路端の手前2720ft地点の滑走路標高よりも200ft高い丘を通過した後、パイロットは自機の高度が高すぎることと滑走路中心線の左方にずれていることを認識し、グライドパスに乗せるために機首を下げ、右にバンクを取った。事故機は、対気速度がスレッシュホールド通過時のターゲットスピードである125ノット以下に減少しても、依然として右旋回を継続していたところ、スレッシュホールドの手前156フィートの地点に激しく接地した。ランディングギアが破損し、機体は横滑りして炎上した。
事故調査報告書は乗員の着陸操作の技術が不十分であったために過大な降下率となったことを事故原因とした。なお、関与した要因として、滑走路の幅が98フィートと狭く、パイロットからは滑走路が小さく見えた点、滑走路面の舗装が滑らかではなく、パイロットに可能な限りスレッシュホールド付近への接地を行いたいと考えさせた点、限界値に近い悪天候がパイロットに余裕のない旋回を行わせたと思われる点、降下率と低速時において消極的なスラストを使用することの関係をパイロットらが知らなかった点が挙げられた。
事故機は1960年に製造された。