1966年11月24日午後4時30分、ブルガリア・ソフィア発チェコスロバキア(当時)・プラハ経由東ベルリン(当時)行きTABSO(本社:ブルガリア)101便イリューシンIL-18(LZ-BEN)が、チェコスロバキアのブラティスラバ空港を離陸して2分後、空港から約8Kmの山岳地帯に墜落した。
この事故で、乗員8名、乗客74名、計82名が全員死亡した。
事故機はプラハが悪天候のため、代替空港であるブラティスラバ空港で待機していたが、プラハの天候回復を受けて離陸したところであった。出発経路では、15度のバンクを維持し右旋回することになっていたが、パイロットは右旋回することなく経路を逸脱し、そのまま山岳地帯に進み墜落に至った。飛行経路の逸脱が、計器の故障によるものか、パイロットの故意によるものかは明らかにならなかった。