1964年4月17日午後10時32分、レバノン・ベイルート発サウジアラビア・ダーラン行きMEA中東航空444便シュドアビアシオンSE-210カラベル3(OD-AEM)が、ダーラン国際空港に最終進入中、ダーランの南南東10nm、沖合4nmの海上に墜落した。
この事故で乗員7名、乗客42名、計49名全員が死亡した。
事故機はベイルート国際空港を午後8時9分に出発し、高度30000ftに上昇し、巡航に入った。午後10時4分、事故機はバーレーンコントロールにダーランへの到着予定時刻を午後10時28分と報告し、ダーランNDB上空を5000ftで到達するための降下が許可された。午後10時6分、北北東の風10ノット、ガスト16ノット、視程0.5nm、砂嵐との最新の気象情報が事故機にもたらされた。午後10時26分、事故機はダーランNDBまであと2分と報告した。午後10時28分、事故機は高度5000ftを降下中であると報告し、ADFアプローチの許可を得た。午後10時29分、高度4000ftを降下中であると報告し、午後10時30分には2500ftを降下中と報告し、ADFがインバウンドに変わったことを報告した。この報告を受けて管制官は、最終進入を許可し、ミニマム到達と滑走路視認を報告するよう事故機に求めた。この交信が事故機との最後の交信となった。午後10時32分頃、短く大きな無線の雑音が管制塔で記録された。事故機は進入手順通りの旋回を行った後でダーラン空港の南方10nmの海上に墜落した。
事故調査の結果、事故の原因となる機材の故障などは発見されなかった。砂嵐が電波高度計の表示を狂わせた可能性が指摘され、エールフランスが実験を行った結果、誤作動が発生することが証明された。この他いくつかの仮説が検討されたが、結局事故調査団はいずれも事故機に起こったとは証明出来ず、結論を下すことは出来なかった。
事故機は1960年に製造された。