1964年3月8日午後6時45分、コロンビア・ペレイラ発同国ボゴタ行きテキサンダー航空のダグラスC-47A-5-DK(HK-862)が降下中にボゴタ近郊の街Facataviva近郊に墜落した。
この事故で乗員3名、乗客25名、計28名全員が死亡した。
事故機は、ペレイラを午後5時24分に離陸した。通過するポイントは、El Paso,とGirardotとLa Esperanzaであった。事故機は午後6時18分にLa Esperanza上空に到達し、このポイントの高度13000ftで待機するように管制官に指示された。午後6時33分にボゴタVORへの飛行を許可され、La Esperanza上空を離れた。運航乗務員はボゴタ上空への到着予定時間を午後6時44分と管制官に報告した。管制官はボゴタ空港へのADFアプローチに備え、高度12000ftへの降下を指示すると共に、ボゴタVOR上空を高度12000ftで通過し、アウターマーカー上空を9800ftで通過し、それぞれ報告するように指示した。事故機は、到着予定時刻よりも早い午後6時41分にボゴタVOR近傍に到着したが、管制官は午後6時44分まで高度12000ftを維持するよう指示した。午後6時42分、運航乗務員は自機の近傍で他機(DC-4)が見えると管制官に報告し、衝突を回避するために急な右旋回を行ったが、コントロールを喪失して墜落した。運航乗務員らがDC-4と思った航空機は、実際には最終進入中のカーチスC-46であった。
事故機の機長はDC-3(C-47)の他にDC-4とカーチスC-46にも乗務していた。危機的な瞬間におけるパイロットの反応は、これまでにDC-4とC-46の操縦経験で獲得された習慣に確実に影響された(心理学上の退行)。DC-4やC-46では、DC-3に比して大きな操舵を必要としたため、事故機においても同様の大きな操舵を行ったものと見られる。人工水平儀が、操縦桿に隠れて見えにくい位置に設置されていた同型機の設計上の欠陥が、操縦を困難にした点も指摘された。