1964年2月21日午後4時頃、フィリピン・コタバト発同国マラバン経由同国イリガン経由カガヤンデオロ行きフィリピン航空946便DC-3(PI-C97)が、巡航中に同国マラウィ近郊に墜落した。
この事故で乗員3名、乗客29名、計32名のうち、乗員3名、乗客28名、計31名が死亡した。
事故機は機長が右席、副操縦士が左席に着席し、午後3時40分にマラバンを離陸した。標高約2300ftのLanao湖に向けて有視界飛行で約10分間飛行した。気象状況は悪化していたが、パイロットは有視界飛行を継続し、計器飛行に切り替えたのは少し後のことであった。パイロットがイリガンの気象状況を問い合わせた直後、事故機は標高約2700ftの山の尾根の木々に衝突し、コントロールを喪失して墜落炎上した。
計器気象状態で有視界飛行を継続したことが事故原因とされた。事故当時、エンルートも目的地も有視界気象状態の下限を割り込んでいたが、パイロットは計器気象状態の山岳地帯の上空を低高度で有視界飛行した。関与要因としては、低い雲底高度、限られた視程と降雨などが挙げられ、また、山岳地帯上空の低い高度に一般的に存在する下降気流か上昇気流を伴う乱気流(いわゆる山岳波)の関与した可能性も指摘された。