1963年5月3日午後2時27分、カメルーン・ドゥアラからナイジェリア・ラゴスに向かっていたAir AfriqueのDC-6B(F-BIAO)が、上昇中にカメルーン・カメルーン山の標高6500ft地点に墜落した。
この事故で乗員7名、乗客48名、計55名全員が死亡した。
事故機はドゥアラを午後2時16分に離陸し、巡航高度16500ftを目指して上昇を開始し、計器飛行方式でラゴスに向かった。最後の交信は午後2時25分にナイジェリア・カノと交わされたもので、午後2時38分頃に飛行情報区(FIR)を通過する旨を伝えるものであった。
機長は、危険なために飛行禁止となっている空域を低すぎる高度で飛行するルート選択をした。このルート選択の際の判断を注意深く慎重に行わなかったことが、事故の原因とされた。さらに機長は航法を怠り、計器飛行に移行したのは山岳地帯に接近してからであった。
事故機は1958年に製造された。