1962年6月28日、ソビエト連邦ウクライナ共和国(当時:現独立国家共同体ウクライナ)・リヴィフから同国ロシア連邦共和国(当時:現独立国家共同体ロシア連邦)・ソチに向かっていたアエロフロート航空アントノフAn-10A(SSSR-11186)が、同国アドレルのソチ空港へ最終進入中にアドレル近郊の山中に墜落した。
この事故で乗員7名、乗客74名、計81名全員が死亡した。
事故機は管制から進入経路の変更の指示を受けて飛行中に墜落した。担当の管制官はソ連の航空当局の免許を受けていなかった。また、山岳地帯での飛行に備えた航空会社による乗務員の訓練不足も指摘された。