1961年11月8日午後9時30分頃、アメリカ・ニュージャージー州ニューアーク発同国ペンシルベニア州ウイルケス・バレー経由同国メリーランド州ボルチモア経由同国サウスカロライナ州フォート・ジャクソン行きインペリアル航空ロッキード049Eコンステレーション(N2737A)が、同国バージニア州リッチモンド近郊のビアード・フィールドに緊急着陸のための進入中に滑走路端から約1.5Kmの森林地帯に墜落した。
この事故で乗員5名、乗客74名、計79名のうち、乗員3名、乗客74名、計77名が死亡し、乗員2名が重傷を負った。乗客は全て米軍の新兵であった。
第3燃料ポンプに第2燃料ポンプ用の電気ブラシが装着されていたために、第3燃料ポンプが故障し、対処にあたった訓練中のフライトエンジニアが、第2第3のクロスフィードバルブを開いたが、3番燃料ポンプが故障のため低圧となっていたため、圧力差が生じ、3番燃料タンクのチェックバルブが閉じてしまい、第4燃料タンクの燃料だけで右翼の第3、第4エンジンを回すことになった。そして第4燃料タンクの燃料が尽きるとともに右翼の2つのエンジンは停止した。この時点で教官のフライトエンジニアが交代して対処にあたったが、タンクが空になった状態で第4燃料ポンプを動かしたまま放置したため、右翼の2つのエンジンの燃料系に空気が混入し、再始動が困難な状態になった。さらに、停止した第3、第4エンジンの油圧系統を第1、第2エンジンの系統に切りかえるのを忘れたため、緊急着陸に際し、着陸装置が出ずに、着陸復行をせざるを得なくなった。再進入の途中で姿勢が維持できなくなり、再び着陸復行したところ、酷使してきた第1エンジンが停止し、遂に第2エンジンだけでは高度が維持出来ずに墜落に至った。
乗客の大半は墜落直後は生存しており、火災による一酸化炭素中毒が大半の乗客の死因となった。