(事故No,19601216a)
1960年12月16日午前10時33分、アメリカ・イリノイ州シカゴ発同国ニューヨーク行きユナイテッド航空826便DC-8-11(N8013U)と同国デイトナ発オハイオ州コロンバス経由ニューヨーク行きトランスワールド航空266便ロッキード1094スーパーコンステレーション(N6907C)がニューヨーク州郊外のスタテン島ニュードープにあるミラー空軍基地上空高度5000ftで空中衝突し、スーパーコンステレーションはそのまま同空軍基地内に墜落し、DC-8は衝突地点から約13.5Km北東のブルックリン地区パーク・スロープの市街地に墜落した。
この事故で、ユナイテッド航空機の乗員7名、乗客77名、計84名全員と、トランスワールド航空機の乗員5名、乗客39名、計44名全員の計128名と、地上の住民6名の合わせて134名が死亡した。当時としては世界の航空史上最悪の事故となった。
衝突前にDC-8は、管制から通常の航路よりも経路を短縮することを許可され、指示通り飛行しようとした。このときDC-8に登載されていたVOR受信機は2台のうち1台が故障しており、パイロットは航法のためにADFを使用した。この際に計器の表示の理解に誤解が生じ、自機の位置を錯覚したことが空中衝突の最大の要因であった。また管制官もDC-8が予定された航路から約15Kmも逸脱していることに気付かなかった点に過失があるとされた。
この事故を契機にアメリカの航空管制システムは再構築され、全面的なレーダー管制が整えられていった。以降全てのジェット旅客機はレーダー管制され、混雑する航空路では、8000ft以下を飛行する全ての航空機についてもレーダー管制されることとなった。目的地飛行場から半径48Km以内の空域での飛行速度と方位の決定は管制官の専権事項となった。また米国上空を飛行する12500ポンド(5670Kg)以上の航空機にトランスポンダーの設置が義務付けられ、DMEを備えた航法ビーコンの配備が進められた。
DC-8の墜落事故は本件が初めてであり、ジェット旅客機が定期便に就航して以来、米国内で初めての死亡事故となった。
◎関連文献(刊行年順) |
著者名 | 書 名 | 出版社 | 刊行年 | 頁 数 |
デビッド・ゲロー | 「航空事故」(増改訂版) | イカロス出版 | 1997年 | 37頁〜41頁 |
デイヴィッド・オーウェン | 「墜落事故」 | 原書房 | 2003年 | 147頁〜151頁 |