1960年9月7日、パラグアイ・アスンシオンからアルゼンチン・ブエノスアイレスに向かっていたAerolineas ArgentinasのDC-6(LV-ADS)が巡航中にウルグアイ・サルトの東北東約12Kmの地点に墜落した。
この事故で乗員6名、乗客25名、計31名全員が死亡した。
事故当時の天候は嵐であった。プロペラガバナーの通常とは異なる運用によって第3プロペラが速度超過を起こし、分離して隣の第4エンジンに衝突した。これを契機に機体は空中分解した。
事故の遠因は、事故機のエンジンの製造元であるプラットアンドホイットニー社がエンジンのメンテナンスについて1957年11月5日付で各ユーザー向けに通知したサービスブリテン1666と、1958年5月15日付で通知したサービスブリテン1680の内容をAerolineas Argentinasが充分に遵守しなかったことにあると指摘されている。なおユーザーである航空会社にとってサービスブリテンの履行は義務ではなく、具体的な危険性がある事項についてメーカーは、より強制力のある方法でユーザーに通知すべきであった。
事故機は1948年に製造された。