1959年11月21日、西ドイツ(当時:現ドイツ)・フランクフルト発レバノン・ベイルート経由イラン・テヘラン経由アフガニスタン・カンダハル経由同国カブール行きアリアナアフガン航空202便DC-4(YA-BAG)が、ベイルート空港を離陸約2分後に空港から約2.5マイル地点のAramounの丘に墜落した。
この事故で乗員5名、乗客22名、計27名のうち乗員5名、乗客19名、計24名が死亡した。
事故機はベイルート空港には世界標準時で事故前日の11月20日午後11時30分に到着していたが、技術的な問題が発生し出発予定時刻を20時間遅れての出発となった。
パイロットは、早い段階で行うことになっている右旋回を予定された段階で行い忘れたか、異常事態(おそらくは第1エンジン火災警報の作動)の発生により当惑して行えなかったものと見られ、この航法エラーと第1エンジンの火災警報作動によりパイロットがエンジン火災時の緊急措置を行ったために、旋回率、上昇率共に減少したことが競合し事故を招いた。
事故機は1944年に製造された。