1959年1月16日午後9時40分、アルゼンチン・ブエノスアイレス発同国マルデルプラタ行きAustral Lineas Aeras(本社:アルゼンチン)のカーチスC-46A-50-CU(LV-GED)が、着陸復行中にマルデルプラタ沖の大西洋上に墜落した。
この事故で、乗員5名、乗客47名、計52名のうち、乗員5名、乗客46名、計51名が死亡した。
事故機は午後7時50分にブエノスアイレス空港を離陸した。マルデルプラタ空港の悪天候のため定刻より35分遅れての出発となった。
事故機は着陸進入時にスレッシュホールド上空で高度約85mというオーバーシュートの状態となリ、滑走路に接地することも出来ず、着陸復行のプロシジャーに着手した。事故機は沖合いの大西洋上に向けて徐々に高度を下げ、遂には沖合1200mの地点に墜落した。パイロットは計器飛行により着陸復行のプロシジャーを進行すべきところ、夜間の悪天候下有視界飛行を継続しようとして高度を失った。
事故原因に寄与した要因として、パイロットはマルデルプラタ空港には精通していなかったために、計器進入のためのプロシジャーの施行中に計算を誤ったこと、パイロットは危機的状況に立たされ、一時的に精神状態が混乱を来たしたため、本来有する能力及び技術の発揮に影響を受けたこと、ラジオビーコンが運用を停止していたことに加え、進入当時の天候状態に対して滑走路の照明が弱かったこと、航空会社による運航管理が不十分であったことが挙げられた。
事故機は1944年に製造された。