1959年1月11日、西ドイツ(当時:現ドイツ)・ハンブルグ発ブラジル・リオデジャネイロ行きルフトハンザドイツ航空ロッキードL-1049Gスーパーコンステレーション(D-ALAK)が、リオデジャネイロ国際空港へ最終進入中に滑走路の手前に墜落した。
この事故で乗員10名、乗客29名、計39名のうち乗員7名、乗客29名、計36名が死亡した。
事故機は着陸予定時刻の20分前に4200mから3000mへの降下が承認され、KX NDB通過まで3000mを維持した。KX NDB上空で900mへの降下の承認された。進入管制に正常なポジションレポートを行った事故機は、降雨の中Guanabara湾上空を降下中に前輪を海面に接触させたが、運航乗務員は進入の継続を試みたと推測され、その後滑走路手前の海岸に墜落した。進入最低高度以下に降下した原因は特定できなかった。
運航乗務員の乗務時間は長時間に及んでおり、ブラジルの法令での上限を超えていたが、ドイツの法令での上限は超えていなかった。このため、事故原因への疲労の寄与が推測されている。
事故機は1955年に製造された。